中世音楽 — グレゴリオ聖歌からノートルダム楽派まで
6 世紀の教皇グレゴリウス 1 世に帰される 「グレゴリオ聖歌」 は、 8-9 世紀にフランク王国で体系化され、 中世西欧音楽の基礎となった。 9 世紀のネウマ譜、 10 世紀のオルガヌム (単声から複声へ)、 11 世紀のグイド・ダレッツォによる五線譜と階名唱法 (do-re-mi の起源)、 12-13 世紀のパリ・ノートルダム楽派 (レオナン・ペロタン) の 4 声モテット、 14 世紀のアルス・ノヴァ (マショー)、 そしてトルヴェールとミンネゼンガーの世俗音楽まで — 教会が育んだ 500 年の音楽の起源を辿る。
中世音楽 — 「聞こえる文明」 の 記録
前記事 [overview] で見た 西洋音楽 1500 年の 出発点が 中世音楽 (Medieval music、 9-14 世紀)。 この時期の 音楽の 大部分は キリスト教典礼音楽 (宗教音楽) で、 現存する記録は 教会と 修道院に集中している。
- 9 世紀 — ネウマ譜 (記譜法) の 出現
- 10 世紀 — オルガヌム (原始的多声音楽) の 誕生
- 11 世紀 — グイド・ダレッツォの 五線譜、 階名唱法
- 12-13 世紀 — ノートルダム楽派の 発展
- 14 世紀 — アルス・ノヴァ、 マショー
「単声から 多声へ」 「口伝から 記譜へ」 の 大転換が、 この 500 年で起きた。
グレゴリオ聖歌 — 中世音楽の 基層
グレゴリオ聖歌 (Gregorian chant) は、 カトリック教会の 単旋律・無伴奏の聖歌。 教皇グレゴリウス 1 世 (在位 590-604) に 帰される (実際は 後世の伝承、 実際は 8-9 世紀の フランク王国での 体系化)。
特徴
- 単声 (monophonic) — 全員が 同じ旋律を歌う
- 無伴奏 — 楽器なし
- ラテン語のテキスト (聖書、 祈祷文)
- 自由リズム — 拍子は なく、 言葉に従う
- 教会旋法 (8 種) に 基づく
教会旋法 (8 mode)
現代の 長調・短調とは 異なる、 8 つの旋法:
- ドリア、 ヒポドリア (Dorian, Hypodorian)
- フリギア、 ヒポフリギア (Phrygian, Hypophrygian)
- リディア、 ヒポリディア (Lydian, Hypolydian)
- ミクソリディア、 ヒポミクソリディア (Mixolydian, Hypomixolydian)
「太陽と月」 「7 つの惑星」 に 対応させる 神秘的な体系。 バロック期まで 使われ、 現代でも ジャズ・現代音楽で 復活。
現存曲数
グレゴリオ聖歌は 数千曲が現存、 現代でも ヴァチカン、 ソレム修道院 (仏)、 モンセラート修道院 (西) 等で 歌われている。 現代の CD 録音でも セラーゲ・シリーズ (ソレム) が 標準。
ネウマ譜 — 記譜法の誕生 (9 世紀)
初期のグレゴリオ聖歌は 口伝 で伝承。 9 世紀頃、 スイスのザンクト・ガレン修道院、 メッツ司教区などで ネウマ譜 (neuma) が発達。
- テキストの上に 小さな記号 で 音の上下、 装飾を示す
- 音高は 曖昧 (相対的)
- リズム、 装飾 の細部は 記録できる
これは 「音を 書き留める」 という 発想の 誕生。 それまで 音楽は 「その場限り」 だったが、 ネウマ譜以降 「時間を超えて 音楽が伝わる」 ようになった。
グイド・ダレッツォ — 五線譜と do-re-mi (11 世紀)
グイド・ダレッツォ (Guido d’Arezzo、 991 頃-1050 頃) は イタリアの ベネディクト会修道士・音楽理論家。 中世音楽最大の 記譜革命を もたらした人物。
五線譜の 発明
それまで ネウマ譜は 音高が不明確。 グイドは 4 本の平行線 (テトラグラム) の上に ネウマを配置、 各線の音高を 明確に定義 した。 これが 五線譜の直接の祖先。
階名唱法 — do-re-mi の 起源
グイドは [聖ヨハネへの賛歌] の各行の 冒頭音節を 教材とした:
- Ut queant laxis
- Resonare fibris
- Mira gestorum
- Famuli tuorum
- Solve polluti
- Labii reatum
これが Ut, Re, Mi, Fa, Sol, La の 由来。 後に Ut は Do に変更 (「Dominus (主) の Do」 とも)、 17 世紀に Si (後の Ti) が加えられ、 現代の Do Re Mi Fa Sol La Si (Ti) が完成。
グイドの手 (Guidonian hand)
教育技法として、 左手の関節に 音を対応させた図 を使った。 教師が 指を指すと、 生徒がその音を歌う — 音符を 「手で覚える」 中世の教育法。
現代の音楽教育の 起源 が、 11 世紀の 修道院にある。
オルガヌム — 多声音楽の 誕生 (9-12 世紀)
オルガヌム (Organum) は グレゴリオ聖歌に 別の旋律を重ねる 初期多声音楽。
平行オルガヌム (9-10 世紀)
- グレゴリオ聖歌の旋律に、 5 度・4 度の平行 で 別声部を重ねる
- 教会のホールで 響きが豊かに なる
自由オルガヌム、 メリスマ・オルガヌム (11-12 世紀)
- 平行だけでなく、 反行・斜行 も含む
- 上声部が 複雑な装飾 (メリスマ) を歌う
- グレゴリオ聖歌 (下声、 テノール) を 長く伸ばし、 上声で 装飾
「1 つの旋律から 2 つの旋律へ、 そして 3 声・4 声へ」 — 西洋音楽が 多声性 (polyphony) という 独特の道を歩み始めた。
インド・アラビア・中国の音楽が 単声・独奏 を発展させたのと対照的な、 西洋の 特殊性。
ノートルダム楽派 — 12-13 世紀のパリ
1163 年に着工した パリ・ノートルダム大聖堂 を 拠点に、 12-13 世紀に 高度な多声音楽 が発展した。 これが ノートルダム楽派 (École de Notre-Dame)。
レオナン (Léonin、 1150 頃-1201)
- [大オルガヌム集 (Magnus Liber Organi)] を編纂
- 2 声のオルガヌム を体系化
- メリスマ的な 上声部 と、 持続的な下声部
ペロタン (Pérotin、 1160 頃-1230 頃)
- レオナンの 後継者
- [Viderunt omnes] [Sederunt principes] など 4 声のオルガヌム
- リズム・モード の体系化 (6 種の 基本リズム型)
4 声のオルガヌム は、 中世音楽の 頂点の一つ。 現代の 古楽アンサンブル (ヒリアード・アンサンブル、 タリス・スコラーズ) が 復元演奏し、 CD で 聴くことができる。
モテット — 中世の 新形式
モテット (Motet) は、 13 世紀にノートルダム楽派から発生 した、 多声の 声楽曲。
- テノール (下声) — グレゴリオ聖歌の 断片、 ラテン語
- 上声 (2-3 声) — 独立した歌詞 (ラテン語、 フランス語 混在も)
- 各声部が 異なるテキストを歌う ことも (「多重歌詞モテット」 )
「同時に 別の歌詞を 3 声が歌う」 という 現代からは 奇妙な形式が、 中世で 大流行。 バッハまで続く モテットの 長い伝統 の 起源。
リズム・モードと 定量記譜法
13 世紀、 ペロタンらは リズム・モード を体系化。 6 つのリズム型 で ほとんどの音楽を 記述:
- 長・短
- 短・長
- 長・短・短
- 短・短・長
- 長・長
- 短・短・短
この後、 定量記譜法 (mensural notation、 13 世紀後半) で 拍節 (meter) が明確に。 現代の 4/4、 3/4 に相当する 概念が 生まれた。
アルス・ノヴァ — 14 世紀の 「新しい技法」
アルス・ノヴァ (Ars Nova、 「新しい技法」) は、 14 世紀初頭のフランス で 起きた 音楽革新運動。 ヴィトリの論文 [Ars Nova] (1322 頃) に 由来。
- より複雑な リズム (5 連符、 3 連符の 組み合わせ)
- 音符の 分割の 細分化 (小節が 3 分割・4 分割 で 対比)
- 世俗音楽 (シャンソン) の 芸術化
ギヨーム・ド・マショー (1300 頃-1377)
アルス・ノヴァの 代表的作曲家。 ノートルダム大聖堂の 参事会員、 詩人としても著名 (プティ・ラ・フォンテーヌ賞 中世部門)。
- [ノートルダム・ミサ曲 (Messe de Nostre Dame)] — 一人の作曲家による 最古のミサ曲全曲
- 多数の シャンソン、 バラード、 ロンドー、 ヴィルレー
- ホケット (声部間の音符の交互配置) の技法
マショーは 中世から ルネサンスへの 橋渡し となった。 「作曲家」 としての 自己認識を もった 最初期の音楽家。
世俗音楽 — トルヴェール、 ミンネゼンガー
中世音楽の 90% は 宗教音楽 だが、 世俗音楽も 並行して存在:
トルバドゥール (Troubadour、 南仏、 11-13 世紀)
- オック語 (プロヴァンス語) の宮廷詩人
- 騎士道恋愛 (fin’ amor) の歌
- 200 人以上の名前が 残る
トルヴェール (Trouvère、 北仏、 12-13 世紀)
- オイル語 (フランス語) の宮廷詩人
- トルバドゥールの北仏版
- ティボー・ド・シャンパーニュ など王侯貴族も
ミンネゼンガー (Minnesänger、 独、 12-14 世紀)
- ドイツ語圏 の 宮廷詩人
- ヴァルター・フォン・デア・フォーゲルヴァイデ が最大
- ワーグナー [タンホイザー] の 題材
これら 世俗音楽の系譜 が、 後の リート (歌曲)、 マドリガーレ、 オペラ へと つながる。
楽器 — 中世の 器楽
中世の 楽器は 記録が少ないが、 主要なもの:
- リュート、 ヴィエル (弓弦楽器)、 プサルテリウム (撥弦)
- リコーダー、 ショーム (木管)
- オルガン (中世から 教会楽器の中心)
- 鐘、 太鼓、 タンブリン
しかし 中世器楽の記譜は 圧倒的に少なく、 実際にどのように演奏されていたかは 現代の 復元研究に 頼っている。
中世音楽の 特徴 — 「時間の 神学」
中世音楽の 根底には キリスト教神学 :
- 音楽は 神の秩序の 反映
- 数比 (2:1, 3:2, 4:3) が 音楽の美 (ボエティウス [音楽論]、 6 世紀)
- 宇宙の音楽 (musica mundana)、 人間の音楽 (musica humana)、 楽器の音楽 (musica instrumentalis) の 3 分類
「音楽は 数学と 一体」 — 前シリーズ [数学の系譜] の ピタゴラス (音楽の調和は 数の比) から続く 中世の 音楽観。
現代への 影響
- グレゴリオ聖歌 — 現代でも カトリック典礼で 使用、 CD で 大量録音
- 五線譜 — 現代の 音楽記譜の 直接の祖先
- do-re-mi — 現代の 音楽教育の 基礎
- 多声音楽 — 西洋音楽の 特殊性 (アジア音楽との 決定的差異)
- モテット — バッハまで続く 形式
「1000 年前の 修道院で 発明された 記譜法と 教育法」 が、 現代の 世界の音楽教育の 基礎に。
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中世音楽 500 年、 グレゴリオ聖歌から マショーまでを辿った。 次記事では、 ルネサンス音楽 (15-16 世紀) に入る。 フランドル楽派 (デュファイ、 ジョスカン・デ・プレ、 パレストリーナ) の 多声音楽の 頂点、 そして モンテヴェルディによる オペラの誕生 (1600 年頃) — バロック時代への 幕開けまで、 音楽の 「近代化」 の 200 年を辿る。