新興俳句 — 水原秋桜子と山口誓子、 花鳥諷詠からの離脱と京大俳句事件

1931 年、 高浜虚子の 4S 筆頭だった水原秋桜子が『馬酔木』 を掲げて 『ホトトギス』 を離脱、 山口誓子・石田波郷らが続いて 新興俳句 運動を開始する。 都市・機械・戦争の題材を俳句に持ち込んだが、 1940 年の京大俳句事件で治安維持法の弾圧を受け、 一時期壊滅的な打撃を受けた 昭和 10 年代の物語。

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昭和初期の俳壇 — 4S 時代

昭和初期 (1926-1935 頃) の俳壇は、 高浜虚子の 『ホトトギス』 が絶対的な中央機関として君臨し、 弟子筋の 4S — 水原秋桜子・高野素十・山口誓子・阿波野青畝 — が主要作家として活躍する時代だった。 花鳥諷詠と有季定型の枠内で、 いかに個性的な写生を極めるかが競われていた。

一方で、 昭和という時代は既に近代の急激な変化 の只中にあった:

  • 都市化の進展 (東京・大阪の巨大化)
  • 機械技術の進展 (工場・自動車・飛行機)
  • 満州事変 (1931) から徐々に戦争色が濃厚に
  • 労働運動・左翼思想の拡大

こうした題材を花鳥諷詠だけで詠むのは難しい、 という認識が若い俳人の間に育っていた。 その最初の反乱者が 水原秋桜子

水原秋桜子と『馬酔木』 (1931)

水原秋桜子 (みずはら しゅうおうし、 1892-1981)、 本名 豊 (ゆたか) は、 明治 25 年 (1892) 東京神田の産婦人科医の家に生まれた。 慶應予科卒後、 東京帝国大学医学部へ進み、 産婦人科医となる。 高浜虚子に師事し、 4S の筆頭として『ホトトギス』 で活躍。

だが秋桜子は次第に、 虚子の 「純粋写生」 — 客観的に対象を見て、 感情を込めない — に不満を持つようになる。 秋桜子の主張:

「俳句は客観の写生だけでなく、 作者の主観・情感を込めていい」

これは虚子の「客観写生」 と真っ向から対立する。

昭和 6 年 (1931) 10 月、 秋桜子は 『ホトトギス』 を離脱、 主宰誌 『馬酔木 (あしび)』 を新設。 39 歳。 4S の筆頭が本山から離脱したこの事件は、 俳壇に激震を与えた。

秋桜子の代表句:

冬菊の まとふはおのが ひかりのみ (1934)

  • 冬菊 — 冬に咲く菊 (季語)
  • まとふ — 纏う
  • おのが ひかりのみ — 自分自身の光だけ

冬の菊は寒風のなかで、 太陽の光ではなく自分自身が発する内なる光 をまとって咲く。 これは客観写生ではなく、 作者の主観的解釈 が全面に出た句。 虚子的な花鳥諷詠との違いが明確。

滝落ちて 群青世界 とどろけり (1926)

  • 滝落ちて — 滝が落ちて
  • 群青世界 — 深い青の世界
  • とどろけり — 轟く

那智の滝を詠んだ句。 「群青世界」 という華麗な色彩の造語 が、 花鳥諷詠の穏やかな景色とは違う迫力を持つ。

山口誓子 — 都市と機械の俳句

山口誓子 (やまぐち せいし、 1901-1994)、 本名 新比古 (ちかひこ) は、 明治 34 年 (1901) 京都に生まれた。 東京帝大法学部を経て住友合資会社 (現・住友金属工業) 勤務。 昭和 10 年頃までは 『ホトトギス』 の 4S として虚子門下だった。

昭和 10 年 (1935)、 誓子は 『ホトトギス』 を離脱、 秋桜子の『馬酔木』 に合流。 だが誓子の作風は、 秋桜子の抒情的な主観写生とも異なる、 都市・機械・戦争を素材にした鋭利な写生。 これが新興俳句の中核となる。

誓子の代表句:

夏の河 赤き鉄鎖の はし浸る (1932)

  • 夏の河 — 夏の川
  • 赤き鉄鎖 — 赤い鉄の鎖
  • はし浸る — 端が水に浸っている

川に係留された鉄船の鎖 — 錆びて赤くなった鎖が河面に浸っている。 鉄・鎖・錆 といった機械的・都市的な素材を俳句の主題に据えた画期的な句。

スケートの 紐むすぶ間も 逸りつつ (1937)

  • スケート — 冬のスポーツ (季語)
  • 紐むすぶ間も — 紐を結んでいる間も
  • 逸りつつ — 心が急いて

スケート靴の紐を結んでいる間も、 早く滑りたくて心が逸る。 現代のスポーツを題材にした写生 で、 従来の「和のもの・自然のもの」 主流の俳句とは題材が全く違う。

学問の さびしさに堪へ 炭をつぐ (1935)

  • 学問の さびしさ — 学問することの淋しさ
  • 堪へ — 耐えて
  • 炭をつぐ — 炭火に炭を継ぐ

書斎で炭火に炭を継ぎながら、 学問の孤独に耐えている。 「学問のさびしさ」 という抽象的な内面 を主題にした。 これも花鳥諷詠を大きくはみ出す。

新興俳句のもう一つの中心 — 石田波郷

石田波郷 (いしだ はきょう、 1913-1969) は愛媛県松山出身、 秋桜子の弟子。 昭和 12 年 (1937) に主宰誌 『鶴 (つる)』 を創刊し、 新興俳句のもう一つの拠点となる。 波郷は結核を病みながら、 都市の生活・戦争体験・病気の内面を詠み込んだ。

波郷の代表句:

バスを待ち 大路の春を うたがはず (1937)

  • バスを待ち — バスを待って
  • 大路の春 — 都心の大通りの春
  • うたがはず — 疑わない

現代都市の日常のなかに春を見出す。 従来の俳句の「春」 とは違う、 アスファルトと自動車の春

雪はしづかに ゆたかにはやし 屍室 (1957)

  • 雪はしづかに ゆたかにはやし — 雪が静かに豊かに速く降る
  • 屍室 — 死体置き場

戦後の病院詠。 花鳥諷詠の対極にある病室・死 の主題を、 冬の雪と重ねて。

京大俳句事件 (1940-1942) — 治安維持法による弾圧

新興俳句運動は、 京都帝国大学の学生俳誌 『京大俳句』 (1933 創刊、 主宰 高屋窓秋・平畑静塔・波多野爽波ら) を中心にも展開していた。 特に 1938 年頃 から、 若い俳人が戦争・貧困・社会矛盾 を俳句に詠み込む傾向が強まる。

例えば 渡辺白泉 (わたなべ はくせん、 1913-1969): 「戦争が 廊下の奥に 立つてゐた」 (1939)

戦争がすぐ隣に来ていることを、 廊下の奥の存在として詠んだ、 昭和俳句史でも屈指の恐ろしい句。

昭和 15 年 (1940) 2 月、 政府 (内務省) は治安維持法違反容疑で 『京大俳句』 派 の俳人を一斉検挙。 渡辺白泉・平畑静塔・仁智栄坊・杉村聖林子・西東三鬼 (さいとう さんき) ・秋元不死男らが検挙され、 執筆禁止処分となる。 これが 「京大俳句事件」 (第一次)。

翌 1941 年 - 1942 年にかけて、 京大俳句事件 (第二次)、 京大俳句事件 (第三次) と続き、 新興俳句運動は事実上壊滅。 『京大俳句』 は 1940 年 8 月に廃刊。

弾圧の背景と影響

治安維持法は本来、 共産主義者を取り締まる法律だった。 それが俳人にまで適用された のは、 新興俳句の反戦的・社会批判的性格 が当局に警戒されたため。 「俳句のなかに反戦思想がある」 という理由での検挙は、 世界文学史でもかなり異例。

影響:

  1. 新興俳句運動は 1940 年で事実上停止 — 秋桜子の『馬酔木』 は残ったが、 政治的な題材は避けざるを得なくなる
  2. 戦時中の俳壇は再び 『ホトトギス』 中心 — 虚子の花鳥諷詠が主流に戻る
  3. 戦後の新興俳句復活 — 1946 年以降、 検挙された俳人が復活し、 誓子・秋桜子中心に新興俳句の遺産が引き継がれる

戦後の 4 系統への分岐

新興俳句の遺産は、 戦後に 4 つの系統に分岐する:

1. 秋桜子系 — 『馬酔木』 の継続

秋桜子は戦後も『馬酔木』 を主宰し、 抒情性を重視した俳句を続ける。 弟子筋に 能村登四郎 ら。

2. 誓子系 — 『天狼』 (1948)

誓子は戦後 『天狼 (てんろう)』 を創刊 (1948)、 都市・現代の題材を軸に活動。 弟子筋に 橋本多佳子・沢木欣一・三橋鷹女 ら。

3. 波郷系 — 『鶴』 の継続

波郷は戦後も『鶴』 を主宰し、 病・生活・戦争の記憶を詠み続けた。 弟子筋に 石川桂郎・岡田日郎 ら。

4. 京大俳句系 — 前衛俳句へ

検挙された渡辺白泉・平畑静塔・三橋敏雄・鈴木六林男らは、 戦後 前衛俳句・社会性俳句 の担い手となる。 これは次記事 (13) で扱う金子兜太らへと繋がる。

新興俳句の意義

新興俳句は、 政治的な弾圧で一時期壊滅させられたが、 その思想的遺産 は現代俳句の基盤となっている:

  1. 有季定型を守りつつ、 主観・情感を許容する — 秋桜子の路線
  2. 都市・機械・現代の題材を俳句に持ち込む — 誓子の路線
  3. 社会性・思想性を俳句に許容する — 京大俳句派・のちの社会性俳句
  4. 花鳥諷詠絶対主義の解体 — 虚子的な原理主義への相対化

これらすべてが、 戦後の俳壇の多様化 を可能にした前提。 現代の俳句作家は、 有季定型でありながら都市・現代・思想を詠むことができるが、 これは秋桜子・誓子・波郷ら新興俳句の努力の産物。

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新興俳句の別の分岐として、 昭和 10-20 年代に 人間の内面 を俳句の主題に据えた一群がいた。 中村草田男・加藤楸邨・石田波郷 (兼務) を中心とする 人間探求派。 次の記事では、 「降る雪や 明治は遠くなりにけり」 の中村草田男を軸に、 花鳥から人間へと視線を移した俳句の展開を辿る。

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