昭和の女性俳人 — 三橋鷹女・橋本多佳子・杉田久女・中村汀女

明治維新後の女子教育拡大は、 大正・昭和期に多数の女性俳人を生んだ。 なかで特に大きな存在感を持った 4 人 — 三橋鷹女 (前衛的抒情)、 橋本多佳子 (誓子門下の情熱)、 杉田久女 (虚子門下の悲劇)、 中村汀女 (家庭俳句の代表) — の生涯と作風を辿る。 江戸期の女性俳人から現代 (神野紗希ら) への橋渡しとなる 4 人。

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4 人の女性俳人の時代

明治維新 (1868) から約 50 年、 大正-昭和の日本では、 江戸期には限られていた女性の俳句参加が本格化する。 きっかけは 3 つ:

  1. 女子教育の拡大 — 女子師範学校・女子英学塾 (津田塾) など、 教養ある女性の層が増える
  2. 『ホトトギス』 の女性欄 — 高浜虚子が『ホトトギス』 誌上に 「台所雑詠」 (のち「婦人俳句」) を設け、 女性俳人の投稿を積極的に受け入れた
  3. 戦時中の男性不在 — 太平洋戦争期、 男性俳人が徴兵で不在となる中、 銃後の女性が俳句活動を支えた

このなかで大成した 4 人の女性俳人を取り上げる。 それぞれ違う系統・違う作風で、 現代の女性俳人 (神野紗希・佐藤文香ら) への直接の橋渡しとなった。

三橋鷹女 — 「白露や 死んでゆく日も 帯締めて」 (1899-1972)

三橋鷹女 (みつはし たかじょ、 1899-1972)、 本名 たか (旧姓 剣持) は、 明治 32 年 (1899) 千葉県成田生まれ。 兄と共に和歌・短歌を学び、 のち 原石鼎 (はら せきてい) の弟子として俳句を始める。 大正末〜昭和初期。

石鼎は虚子門下の初期の 4S 世代より少し前、 独自の抒情性を持った俳人。 鷹女は石鼎の門下から出発し、 山口誓子天狼 に近い立場に移り、 のちに独自の道を進む。

鷹女の作風

鷹女の作品は、 女性俳人としては異例に過激で抒情的。 「女性らしい繊細さ」 という枠から明確に外れ、 死・愛・肉体・怒り を直接俳句に詠み込んだ。

代表句

「白露や 死んでゆく日も 帯締めて」

  • 白露 — 秋の露 (季語)
  • 死んでゆく日も 帯締めて — 死ぬ日にも着物の帯を締めて (毅然として)

「死んでゆく日にも身なりを整えて」 という女性の凛とした生の姿勢 を刻んだ、 鷹女の代表句。 女性の日常性と、 死という重い主題を、 露の一瞬に重ねる。

「秋燕 (しゅうえん) や 女ひとりの 死のかたち」

  • 秋の燕 (南に帰る燕)
  • 女一人の死の形

女性が独りで死ぬこと、 その死の姿を秋燕の飛び去る姿に重ねる。 鷹女の女性性への自意識が鋭利に出た句。

「みんな夢 雪割草が 咲いたっけ」

  • 雪割草が咲いた (春先)
  • 「〜っけ」 は口語の詠嘆

現代口語の「〜っけ」 を俳句に持ち込んだ稀有な句。 鷹女の作風の現代性を示す。

鷹女は 73 歳で没。 戦後の女性俳人の中でも、 前衛性と抒情性を兼ね備えた個性 として、 現代の女性俳人に強い影響を与え続けている。

橋本多佳子 — 山口誓子門下の情熱 (1899-1963)

橋本多佳子 (はしもと たかこ、 1899-1963)、 本名 多満 (たま) は、 明治 32 年 (1899) 東京生まれ。 三橋鷹女と同年生まれ。 実家は素封家、 東京女子高等師範学校 (現・お茶の水女子大) を中退。

多佳子は結婚後、 大阪の商家に住む主婦として俳句を始める。 山口誓子 の弟子となり、 誓子の天狼 の中心的な女性俳人となる。 誓子の都市・機械の写生を、 女性の生活のなかで実践した。

代表句

「乳母車 夏の怒濤に よこむきに」

  • 乳母車 — 赤ちゃんを乗せる車
  • 夏の怒濤 — 夏の激しい波
  • よこむきに — 横向きに

海辺で赤ちゃんを乗せた乳母車を、 夏の怒濤に横向きに向けている。 母親としての多佳子の視線と、 自然の激しさ が対比される。 昭和 25 年 (1950)、 多佳子 51 歳の代表句。

「乳房 (ちぶさ) いま 少しく強し 春の月」

  • 乳房 — 女性の胸
  • いま少しく強し — 今、 少し強い
  • 春の月 — 春の月 (季語)

女性の身体感覚を、 直接俳句に持ち込んだ大胆な句。 「乳房」 という女性の性の言葉を、 春の月と対比させる。 戦後の女性俳句の突破口となった一句。

「雪はげし 抱かれて息の つまりしこと」

  • 雪が激しく降っている
  • 抱かれて息が詰まったこと

夫との抱擁を、 激しい雪と重ねる。 性愛の直接的な描写 を俳句に含める、 これも戦後の女性俳人の突破。

多佳子は 63 歳で没。 主宰誌 『七曜 (しちよう)』 (1948 創刊)。 弟子筋に多数の女性俳人。

杉田久女 — 「花衣 ぬぐやまつはる 紐いろいろ」 (1890-1946)

杉田久女 (すぎた ひさじょ、 1890-1946)、 本名 久 (ひさ) は、 明治 23 年 (1890) 鹿児島生まれ。 東京女子師範附属高等女学校卒。 明治 42 年 (1909)、 19 歳で画家の杉田宇内 (うだい) と結婚、 のち小倉 (北九州) に住む。

久女は大正 3 年 (1914)、 『ホトトギス』 に投稿を始め、 高浜虚子 の直弟子となる。 大正-昭和初期の 『ホトトギス』 女性欄の中心 となり、 4S に匹敵する存在感を持った。

代表句

「花衣 ぬぐやまつはる 紐いろいろ」

  • 花衣 (はなごろも) — 花見の着物 (春の季語)
  • ぬぐや — 脱ぐと
  • まつはる 紐いろいろ — まとわりつく紐がいろいろ

花見帰りに着物を脱ぐと、 帯や紐が絡み合っている。 女性の日常の一場面を、 極めて具体的に写生した名句。 大正 15 年 (1926)、 久女 36 歳頃の代表句。

「谺 (こだま) して 山ほととぎす ほしいまま」

  • 谺 (山彦)
  • 山の時鳥 (ほととぎす、 夏の季語)
  • 思うがまま (勝手気まま) に

山中の時鳥の鳴き声が谺で「ほしいまま」 に響く。 昭和 6 年 (1931)、 久女 41 歳。 帝国風景院賞受賞句。 『ホトトギス』 の日本新名勝俳句 の代表作。

悲劇的な晩年

久女は虚子との関係が悪化 し、 昭和 11 年 (1936)、 『ホトトギス』 同人からの除名 という衝撃的な事件が起きる。 除名の直接の理由は不明 (虚子の日記にも詳細記載なし)、 諸説あり:

  • 久女の自己主張の強さ が虚子の逆鱗に触れた
  • 他の男性同人との軋轢
  • 『花衣』 という自分の句集刊行を虚子に強引に要求 したとの説

除名後、 久女は精神を病み、 昭和 21 年 (1946)、 55 歳で福岡の九州大学付属病院で没する。 直接の死因は栄養失調と衰弱。 敗戦の翌年、 戦後の混乱のなかでの死。

久女は死後、 松本清張の小説 『菊枕』 (1953) で「悲劇の女性俳人」 として描かれ、 一気に有名になった。 現代では久女の除名事件は、 『ホトトギス』 の男性中心主義への告発 として再解釈されている。

主宰誌 『花衣 (はなごろも)』 は久女の名句集の名でもある。

中村汀女 — 家庭俳句の代表 (1900-1988)

中村汀女 (なかむら ていじょ、 1900-1988)、 本名 破魔子 (はまこ) は、 明治 33 年 (1900) 熊本県生まれ。 熊本県立高等女学校卒。 大正 12 年 (1923)、 銀行員 中村重喜 と結婚。 夫の転勤で全国各地を転々。

汀女は結婚後、 『ホトトギス』 の同人として長く活動。 虚子門下だが、 久女とは対照的に穏やかで持続的な関係 を保った。 「家庭俳句」 — 家庭の日常を素材にする俳句 — の代表として、 昭和後期に大きな影響力を持つ。

代表句

「外にも出よ 触るるばかりに 春の月」

  • 外にも出て見よ
  • 触れるほど近くに
  • 春の月

春の月が近く感じられる夜、 家族に「外に出て見よ」 と声をかける。 汀女の家庭の視線 の代表句。 昭和 20 年代の作。

「あはれ子の 夜寒の床の 引けば寄る」

  • あはれ (愛しい)
  • 子の夜寒の床
  • 引けば寄る (床が引き寄せられる = 子供が親に近づく)

冬の夜、 幼子の布団を引き寄せる母親の情景。 「あはれ」 の詠嘆が汀女らしい暖かさ。

「咳の子の なぞなぞあそび きりもなや」

  • 咳をする子の
  • なぞなぞ遊び
  • 際限がない

風邪をひいて咳をする子供が、 なぞなぞを次々と出してくる。 その様子を「きりもなや」 と切なく愛おしむ。 母親の日常の名句。

「家庭俳句」 の意義

汀女の「家庭俳句」 は、 一時期「政治性のない・浅い俳句」 と批判されたこともあった。 だが 「家庭という日常を俳句の主題として認める」 ことは、 女性俳人が男性中心の俳壇に生きるための重要な戦略でもあった。

家庭・子育て・料理・季節の変化を句にすることで、 汀女は女性の生活そのものが詩の対象足り得る ことを実証した。 これは戦後の女性俳人 (多佳子・鷹女・久女とは違う方向で) の一つのモデルとなった。

汀女は 88 歳で没。 主宰誌 『風花 (かざはな)』 (1948 創刊、 現在も続く)。

4 人の作風比較

要素 三橋鷹女 橋本多佳子 杉田久女 中村汀女
生年 1899 1899 1890 1900
系統 石鼎 → 独自 虚子 → 誓子 虚子 虚子
主題 死・愛・怒り 女性の身体・母性 女性の日常・自然 家庭・母子
主宰誌 (無) 七曜 花衣 (集) 風花
作風の色 過激・抒情 官能・情熱 華麗・悲劇 穏やか・持続
代表句 白露や 乳母車 夏の怒濤 花衣ぬぐや 外にも出よ

4 人の共通点: 全員が明治 20-30 年代生まれ、 虚子の『ホトトギス』 圏に一度は属した (鷹女は間接的)、 戦時中〜戦後に活躍のピーク。

4 人の相違点: 男性中心俳壇での位置取りが大きく異なる。 久女は正面衝突して敗れ、 汀女は穏やかに共存、 多佳子は誓子系に移り、 鷹女は独自路線。

4 人以外の昭和女性俳人

昭和期の女性俳人は他にも多数:

  • 岡本眸 (おかもと ひとみ、 1928-2018) — 中村汀女門下、 「面」 主宰
  • 細見綾子 (ほそみ あやこ、 1907-1997) — 沢木欣一の妻、 独自の抒情
  • 草間時彦 (くさま ときひこ、 1920-2003) の妹分の女性俳人層
  • 草田男夫人 中村みつを も俳人
  • 飯島晴子 (いいじま はるこ、 1921-2000) — 前衛派、 独自の実験
  • 黒田杏子 (くろだ ももこ、 1938-2023) — 兜太系、 現代の女性俳人の代表格

これらを含めれば、 昭和期の女性俳人は数十人が活躍している。 現代の俳句人口の女性比が男性を上回っているのは、 この昭和の女性俳人たちが築いた道が土台にある。

江戸から現代への橋渡し

江戸期 の千代女・田捨女・秋色女・園女ら → 昭和期 の鷹女・多佳子・久女・汀女ら → 現代 の神野紗希・佐藤文香・野口る理・岩田奎ら。

この 3 世代の女性俳人の系譜は、 俳句史のなかでまだ十分に光が当たっていない領域。 21 世紀の俳句史研究は、 男性俳人中心の従来の史観を書き換えつつある。

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俳句は 400 年、 主に東京・京都・大阪の中央俳壇で展開してきたが、 実際には日本各地 で独自の俳句伝統が育っていた。 松山 (子規・虚子・碧梧桐)、 信濃 (一茶)、 加賀 (千代女・北枝)、 出雲 (松江の松平不昧公と俳諧)、 北陸 (山頭火の一草庵)、 九州 (久女) — 次の記事では、 地方別の俳句史を辿る。

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