山城伝と 天下五剣 — 京の 「品」 と 5 振りの至宝
京都の 山城伝 (三条派 → 粟田口派 → 来派) は 公家・寺社の需要に応え、 上品で繊細な梨子地肌と 直刃調の刃文を確立した。 三条宗近 の 三日月宗近、 粟田口国綱 の 鬼丸国綱、 粟田口吉光 の天下三作短刀 — 山城伝は 天下五剣のうち 2 振りを 直接生み、 「品」 の頂点を築いた。 童子切安綱・大典太光世・数珠丸恒次 を含む 5 振りの来歴と、 現代の 「五剣巡礼」 事情を辿る。
山城伝 — 「都の刀」
山城伝 (やましろでん) は、 京都 (山城国) で発達した 刀工流派群の総称。 都の 貴族・公家・寺社の需要 に応えて発達したため、 武骨さよりも 気品を重視した作風 が主流となった。 「公家好み」 「都の刀」 と 評される。
山城伝の 3 系統
時代順に 大きく 3 つの主要派に分けられる:
- 三条派 — 平安後期。 三条宗近 を祖とする
- 粟田口派 (あわたぐちは) — 鎌倉初〜中期。 「粟田口六人」 と 短刀の名手 吉光
- 来派 (らいは) — 鎌倉中期〜南北朝。 国行を祖とし、 国俊・来国光・来国次 へ
これに加え、 綾小路派・五条派・信国派など、 山城国内の 小流派も含まれる。
三条派 — 平安太刀の 原点
三条派 は 山城伝の祖。 京の 三条 に住したことから 派名がついた。 祖の 三条宗近 は 平安後期の人で、 伝説では 一条天皇の 勅命で 「小狐丸」 を打ったとされる (謡曲 「小鍛冶」)。
宗近の 現存作で 最も有名なのが 天下五剣のひとつ 三日月宗近。 三条派からは 吉家・有成・国永 (くになが) らが続き、 国永の作 「鶴丸国永」 は 皇室御物として知られる。
粟田口派 — 「粟田口六人」 と 梨子地肌
粟田口派 は 京都の東山・粟田口 (現在の知恩院付近) に住した 刀工集団。 鎌倉初期に成立し、 鎌倉前〜中期に 黄金時代を迎えた。
粟田口六人
國家 (くにいえ) を祖とし、 その 6 人の子が 「粟田口六人」 として活躍:
- 国友 — 長兄
- 久国 — 御番鍛冶
- 国安 — 御番鍛冶
- 国清 — 短刀の名手
- 有国
- 国吉 — 短刀の名手、 吉光の父
梨子地肌 (なしじはだ)
粟田口派の地金は 梨子地肌 と呼ばれる、 極めて細かい粒状の地肌が特徴。 研ぎ上げると まるで 蒔絵の梨子地 のように 細かい粒が見える。 刃文は 直刃を基本とし、 品の良い 小乱れが交じる。 山城伝の 「品」 の代表。
粟田口吉光 (藤四郎) — 天下三作の 短刀名手
粟田口派のなかで 吉光 (よしみつ、 藤四郎) は 別格の存在。 短刀のみを作り、 その短刀は 「天下三作」 (正宗・郷義弘・吉光) のひとつに 数えられる。
吉光の短刀は 重ね厚く、 品の良い 直刃を焼く。 短いながらも 気品があり、 戦国〜江戸期の 大名間で重宝された。 徳川家・前田家・伊達家 など、 各大名家に 伝来した 吉光の短刀が 現在も 国宝・重要文化財として残る:
- 厚藤四郎 — 国宝、 東京国立博物館。 鎧通しの典型
- 後藤藤四郎 — 国宝、 徳川美術館
- 平野藤四郎 — 国宝、 京都国立博物館
- 一期一振 (いちごひとふり) — 皇室御物。 吉光唯一の太刀
来派 — 国行・国俊・国光・国次
来派 (らいは) は 粟田口派と並ぶ 山城伝の主要派。 祖は 国行 (くにゆき、 鎌倉中期)。 粟田口とは別系統で、 より武家向けの作風 を確立した。
- 国行 — 板目肌に映りが立ち、 直刃〜小乱れ。 粟田口より 力強い
- 国俊 (くにとし) — 国行の子。 来派を発展させた 中心人物。 「鳴狐 (なきぎつね)」 (国宝、 東京国立博物館) が 代表作
- 来国光 — 鎌倉末〜南北朝。 短刀・脇差の名作を残す
- 来国次 — 国光の弟子。 相州伝の影響を受け、 「来の中の相州」 と評される。 正宗十哲の一人
「二字国俊」 (茎に 「国俊」 と 二文字だけ切る作) と 「来国俊」 (「来国俊」 と三文字切る作) は 別人説もあるが、 現在では 同一人物とする説が有力。
山城伝の 4 要素まとめ
- 地金 — 梨子地肌・小板目肌の 極めて精緻な地肌。 鉄色は 明るく 品がある
- 刃文 — 直刃を基本に、 小乱れ・互の目が交じる
- 姿 — 細身、 腰反り高く、 優美
- 銘 — 精緻な鏨運び、 品のある字体
天下五剣 — 5 振りの至宝
天下五剣 (てんかごけん) は、 日本刀の中でも 特に名高い 5 振り。 室町期以降に成立した称号で、 いずれも 平安〜鎌倉期の作:
| 名物 | 作者 | 時代 | 現所蔵 | 指定 |
|---|---|---|---|---|
| 三日月宗近 | 三条宗近 (山城) | 平安中期 | 東京国立博物館 | 国宝 |
| 鬼丸国綱 | 粟田口国綱 (山城) | 鎌倉初期 | 皇室御物 | 御物 |
| 童子切安綱 | 大原安綱 (伯耆) | 平安中期 | 東京国立博物館 | 国宝 |
| 大典太光世 | 三池典太光世 (筑後) | 平安後期 | 前田育徳会 | 国宝 |
| 数珠丸恒次 | 青江恒次 (備中) | 鎌倉初期 | 本興寺 | 重要文化財 |
5 振りのうち 2 振りが 山城伝の作。 京都の 「品」 が いかに 頂点だったかを示す。
五剣それぞれ
三日月宗近
山城・三条宗近、 平安中期。 刃中に 「打ちのけ」 と呼ばれる 三日月形の働きが 多数現れることから 命名。 「五剣中 最も美しき刀」 と称される。 足利将軍家 → 日野家 → 豊臣秀吉 → 淀殿 → 徳川将軍家 → 東京国立博物館。
鬼丸国綱
山城・粟田口国綱 (粟田口六人の末弟)、 鎌倉初期。 北条時頼 が夢で老翁 (刀の精) の助言を受け、 自ら錆を払ったところ、 近くの火鉢の 鬼の足を斬り落とした 伝説から命名。 皇室御物 のため、 一般公開は 極めて稀。
童子切安綱
伯耆・大原安綱、 平安中期。 源頼光 が 大江山の鬼 酒呑童子 を斬ったという伝説から命名。 本阿弥光徳が 「童子切安綱は 天下五剣中 第一なり」 と評した、 五剣の 筆頭格。 東京国立博物館。
大典太光世
筑後・三池典太光世、 平安後期。 前田家では 「大典太を病人の枕元に置くと 病が治る」 と 伝えられ、 霊刀 として崇められた。 足利将軍家 → 豊臣秀吉 → 前田利家 → 前田育徳会。
数珠丸恒次
備中・青江恒次、 鎌倉初期。 日蓮上人 が 身延山で帯刀した太刀で、 柄に 数珠を巻き付けていた ことから命名。 大正期に発見され、 現在は 兵庫県尼崎市の 本興寺 に所蔵。 年に一度 (11 月 3 日) のみ 一般公開。
五剣の 選定基準
確定的な史料は存在しないが、 選定基準として推測されるのは:
- 作刀の品質 — いずれも 作刀史上最高峰
- 来歴の華麗さ — 将軍家・天皇家・有名武将を経由
- 逸話の豊富さ — 鬼斬り、 霊刀、 宗教との関連
- 古さ — いずれも 平安〜鎌倉期の作
「腕・格・物語・古さ」 の 4 拍子が揃った 5 振り。
「五剣巡礼」 — 現代の観覧事情
すべてを 生で見るのは 至難の業:
- 童子切安綱・三日月宗近 — 東京国立博物館 (展示替えで 数年に一度)
- 大典太光世 — 前田育徳会 (要問合、 特別展のみ)
- 鬼丸国綱 — 皇室御物、 一般公開 ほぼなし
- 数珠丸恒次 — 本興寺 (年 1 回、 11 月 3 日のみ)
刀剣愛好家にとって 「五剣巡礼」 は憧れの旅。 生涯で 5 振りすべてを見た人は 数えるほど。
五剣以外の 準・名物
天下五剣に準ずる 名刀:
- 大包平 (おおかねひら) — 古備前包平、 国宝、 東京国立博物館
- 大般若長光 — 長船長光、 国宝、 東京国立博物館
- 一期一振 — 粟田口吉光、 皇室御物
- 山鳥毛一文字 — 国宝、 岡山県立博物館 (2020 年 5 億円で瀬戸内市が購入)
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古刀期の 5 大産地と 天下五剣を辿った。 次記事では、 五箇伝のもう一つの残り 美濃伝 と、 戦国期の刀 に入る。 大和・相州の影響下で成立した 美濃伝、 三本杉の 関の孫六 (兼元)、 和泉守兼定、 応永期から末古刀期にかけての 大量生産期。 「よく斬れる実戦刀」 として 戦国大名を支えた 美濃刀の 独自性を辿る。