棟方志功 — 「板画」 の再定義、 20 世紀日本版画の世界的評価
1903 年に青森の靴屋の子として生まれた棟方志功は、 独学で版画を始め、 仏教的な題材と豪快な白黒の彫刻で、 20 世紀日本版画を世界美術史に押し上げた。 柳宗悦・民藝運動との出会い、 ヴェネツィア・ビエンナーレ・サンパウロ・ビエンナーレ受賞、 「版画」 を 「板画」 と呼び替えた美学、 「わだば ゴッホになる」 の名言までを辿る。
棟方志功 — 20 世紀日本版画の世界的巨匠
棟方志功 (むなかた しこう、 1903-1975) は、 20 世紀日本の版画家として最も世界的に評価された絵師。 前記事の新版画 (川瀬巴水・伊東深水) が「江戸浮世絵の続き」 だったのに対し、 棟方は創作版画の系譜で、 完全に新しい 20 世紀の版画を切り開いた。
棟方の位置:
- 青森の靴屋の子として独学で版画を始める
- 仏教的な題材 (菩薩・観音・僧) を大胆な白黒で描く
- 「わだば ゴッホになる」 の宣言で 21 歳で上京
- 柳宗悦・民藝運動との出会いで独自の道を確立
- 1955 年 サンパウロ・ビエンナーレ 版画部門最高賞
- 1956 年 ヴェネツィア・ビエンナーレ 国際版画大賞
- 20 世紀日本芸術で世界的に最も評価された 1 人
生涯 — 「わだば ゴッホになる」
幼少期 (1903-1919)
- 1903 年 9 月 5 日、 青森市大町の刀鍛冶 (のち靴屋) の家の三男として生まれる
- 本名 棟方志功 (しこう)
- 極度の近視で、 幼い頃から絵を描くとき紙に顔をくっつけていた
- 1911 年、 家業の刀鍛冶が廃業、 靴屋に転業
- 家は貧しく、 小学校卒業後は働きに出る
ゴッホとの出会い (1919)
- 1919 年 (16 歳)、 雑誌『白樺』 でゴッホの油彩《ひまわり》 を見て衝撃を受ける
- 「わだば (=私は) ゴッホになる」 と宣言 — この方言まじりの誓いが後の伝説になる
- 油彩画家を目指して独学を始める
上京と挫折 (1924-1929)
- 1924 年 (21 歳)、 青森を出て東京へ
- 油彩を志すが、 帝展 (帝国美術展) に落選を繰り返す
- 1925 年から 1927 年にかけて 4 度落選
- 1928 年 (25 歳)、 5 度目の応募でようやく油彩《雑園》 が入選
だが油彩では大成せず、 生活は困窮を極める。 転機は木版画との出会い。
版画への転向 (1928-1930)
- 1928 年、 木版画家 平塚運一 (ひらつか うんいち、 1895-1997) と出会う
- 平塚は創作版画の先駆者で、 「自画自刻自摺」 の思想を持つ
- 1929 年、 棟方は初めて版画を試作
- 独学だが、 才能が急速に開花
「浄土門版画」 の発見 (1936)
1936 年 (33 歳)、 棟方に決定的な出会いがある:
- 《大和し美し (やまとし うるわし)》 の版画連作を国画会展に出品
- 民藝運動の指導者 柳宗悦 (やなぎ むねよし、 1889-1961) が絶賛
- 柳が棟方を日本民藝館に紹介、 買い上げる
これで棟方の運命が変わる。 柳宗悦の後押しで、 棟方は民藝運動と結びつき、 仏教的な題材と土着的な表現の路線を確立する。
「板画」 の宣言 (1938)
- 1938 年、 棟方は 「版画」 を「板画」 と呼び替えることを宣言
- 「版」 = 印刷の型、 「板」 = 木の板そのもの
- 「板から生まれる画」 という思想
- 「板画」 = 素材 (木) の霊力を活かした画
これは単なる名称変更ではなく、 棟方の版画観の宣言。 「絵師の絵を版に写す」 のではなく、 「板そのものが持つ力を引き出す」。 これは民藝運動の素材主義と一致する。
戦時中の疎開 (1940-1945)
- 1940 年、 大作《東北経鬼門譜》 を発表
- 戦争激化とともに、 東京から青森へ疎開
- 1944 年、 富山県福光町に疎開、 農村で版画制作を続ける
戦後 — 世界的評価へ (1946-1975)
- 1946 年、 東京へ戻る
- 1952 年、 東京国立近代美術館のサンパウロ・ビエンナーレ日本代表に選ばれる
- 1955 年 サンパウロ・ビエンナーレ 版画部門最高賞受賞
- 1956 年 ヴェネツィア・ビエンナーレ 国際版画大賞受賞 — 日本人の世界的な受賞として画期的
- 1970 年、 文化勲章受章
戦後 30 年間、 棟方は日本版画界の世界的な顔となる。 数百点の版画・数千点の書・肉筆画を残す。
死去 (1975)
- 1975 年 9 月 13 日、 72 歳で死去
- 死因は肝臓癌
- 東京谷中の桐ヶ谷斎場で葬儀
- 全集・回顧展が世界各地で開催される
棟方の作風 — 「大和のイコン」
1. 仏教的題材
棟方の版画の主題は圧倒的に仏教的:
- 菩薩・観音・如来
- 僧・修行者
- 釈迦の生涯
- 経文 — 般若心経・観音経など
これは棟方個人の信仰というより、 日本的な精神性の探求として扱う。 「日本人の魂」 を版画で表現するという野心。
2. 大胆な白黒
- 黒 (墨) と白 (紙) のコントラスト
- 色は使わないか、 使っても限定的
- 白黒の面と線で構成
これは江戸浮世絵の多色摺とは対極。 むしろ中世の仏教版画の系譜。
3. 女性像 — 「大和の菩薩」
棟方の代表作には豊満で力強い女性像が多い:
- 《釈迦十大弟子》 — 男性の弟子だが、 顔立ちは女性的
- 《二菩薩釈迦十大弟子図》
- 《華厳譜》
これらの女性像は、 江戸浮世絵の線の細い美人とは正反対。 母性・大地・生命力を象徴する巨大な女性像。
4. 「彫り」 の力強さ
- 棟方は極度の近視のため、 紙に顔を近づけて彫った
- そのため顔と板が触れるほど近い距離で彫刻
- 線は荒々しく直接的
- 一気に彫る、 修正しない
これで棟方特有の生命力ある線が生まれる。 江戸浮世絵の精緻な毛割りとは全く違う。
代表作
《釈迦十大弟子》 (1939)
- 釈迦の 10 人の弟子を版画で描いた連作
- 各図は巨大な立像 (縦約 100cm)
- 白黒の力強い彫り
- 1955 年サンパウロ・ビエンナーレの受賞作品
- 棟方の代表作として世界的に有名
10 人の弟子:
- 舎利弗 (シャリプトラ)、 目連 (モッガラーナ)、 迦葉 (カッサパ)、 須菩提 (スブーティ)、 富楼那 (プンナ)、 迦旃延 (カッチャーヤナ)、 阿那律 (アヌルッダ)、 優婆離 (ウパーリ)、 阿難 (アーナンダ)、 羅睺羅 (ラーフラ)
《二菩薩釈迦十大弟子》 (1940)
- 上記に普賢・文殊菩薩を加えた 12 図
- 1956 年ヴェネツィア・ビエンナーレの受賞作品
- 棟方の最高傑作の一つ
《華厳譜》 (1936)
- 《華厳経》 の説話を版画化した連作
- 棟方の初期の代表作
- 柳宗悦が絶賛した作品
《大和し美し》 (1936)
- 万葉集や日本神話に基づく連作
- 「大和 (=日本) は美しい」 の意
- 棟方の日本回帰の宣言的作品
《東北経鬼門譜》 (1940)
- 東北 (青森・岩手・宮城) の鬼門の伝説を主題化
- 棟方の郷土愛と怪異表現
- 大作、 20 図以上
《門世花譜》 (1946)
- 戦後の代表作
- 花を主題にした版画
- 抒情的な棟方の側面
《門世 (かどよ) の柵》 (1948)
- 「柵 (さく)」 = 棟方の造語で「作品」 の意
- 抒情的な花と女性の版画
《幸吹雪の柵》 (1961)
- 晩年の代表作
- 花吹雪の中の女性
- 「柵」 = 作品の意味を確立した時期
棟方と柳宗悦・民藝運動
民藝運動とは
- 1926 年、 柳宗悦 (哲学者)・河井寛次郎 (陶芸家)・浜田庄司 (陶芸家) らが民藝 (みんげい) 運動を提唱
- 「民衆的工芸」 = 名もなき職人が作った日常品の美
- 無名性・実用性・地方性を評価
- 西洋美術の「作家性」 の対極
柳宗悦との出会い (1936)
- 棟方が国画会展に出品した《大和し美し》 を柳が絶賛
- 柳は日本民藝館に棟方の版画を購入
- 棟方は柳の弟子筋として民藝運動に参加
棟方の版画と民藝
棟方の版画は民藝運動の理念と完全に一致:
- 土着的な題材 (仏教・郷土)
- 素材 (板) への敬意 → 「板画」
- 職人的な技法 (自画自刻自摺)
- 量産可能性 (版画ゆえに)
- 世俗的な用途 (掛け軸・襖絵として売買)
これは新版画 (川瀬巴水) の輸出向け高級商品とは対照的。
「わだば ゴッホになる」 の意味
棟方の 16 歳の宣言 「わだば (=私は) ゴッホになる」 は、 単なる若気の目標ではなく、 棟方の生涯を貫く姿勢の宣言:
1. 職業画家ではなく、 「魂の画家」 に
- ゴッホは生前に売れず、 死後に評価された
- 棟方は「売れるかどうかより、 魂を燃やして描く」 姿勢
- 実際、 棟方は生前から評価されたが、 その姿勢はゴッホ的
2. 「絵に自分を賭ける」
- ゴッホは絵に人生を賭けて、 精神を病み、 死んだ
- 棟方も絵に生涯を賭ける姿勢
- 極度の近視、 家族の困窮、 戦争、 それらを絵で乗り越える
3. 日本人でありながら世界を目指す
- ゴッホはオランダ人でパリで活動
- 棟方は青森出身、 東京・世界を目指す
- 「地方から世界へ」 の宣言
この宣言は現代でも 「棟方志功の生涯を語る言葉」 として頻繁に引用される。
世界的評価 — 1955-1956 年
1955 年 サンパウロ・ビエンナーレ
- 版画部門最高賞受賞
- 作品《釈迦十大弟子》
- 日本人版画家の国際的な受賞として画期的
1956 年 ヴェネツィア・ビエンナーレ
- 国際版画大賞受賞 (Grand Prix)
- 作品《二菩薩釈迦十大弟子》
- 日本人がヴェネツィアで受賞するのは初
- 世界の美術界に「棟方志功」 の名が定着
これで棟方は 「20 世紀日本を代表する芸術家」 の地位を確立。 以後、 世界各地で個展・回顧展が続く。
棟方の書と肉筆画
棟方は版画以外にも多くの作品を残している:
書
- 極めて独特の書体
- 般若心経や経文を書き写した書が有名
- 版画の彫りと通じる線の力強さ
肉筆画 (油彩・水彩)
- 若い頃の油彩 (帝展応募作)
- 版画のスケッチとして描いた大量の水彩
- 屏風絵 — 大画面の肉筆
装丁・挿絵
- 谷崎潤一郎『陰翳礼讃』 の挿絵など
- 現代文学の装丁
棟方と江戸浮世絵の関係
棟方の版画は、 江戸浮世絵とは技術的にも思想的にも異なる:
| 要素 | 江戸浮世絵 | 棟方の板画 |
|---|---|---|
| 分業 | 絵師・彫師・摺師 | 一人ですべて (自画自刻自摺) |
| 色 | 多色摺 | 白黒中心 |
| 主題 | 美人・役者・風景 | 仏教・女性像・郷土 |
| 商業性 | 大衆商品 | 芸術作品 |
| 客層 | 江戸町人 | 世界の美術愛好家 |
| 系譜 | 菱川師宣以来 400 年 | 20 世紀の独自路線 |
だが共通点もある:
- 木版画という技術
- 日本の主題の視覚化
- 世界に発信する潜在力
棟方は「浮世絵の続き」 ではないが、 日本の木版画の伝統の 20 世紀の展開の一つ。
棟方の弟子筋と後継
棟方は積極的に弟子を取らなかったが、 影響は大きい:
- 池田満寿夫 (いけだ ますお、 1934-1997) — 銅版画で世界的評価
- 草間彌生 (くさま やよい、 1929-) — 現代アートで世界的な存在
- 横尾忠則 (よこお ただのり、 1936-) — グラフィックデザイン
- 奈良美智 (なら よしとも、 1959-) — 現代アート
これらの現代アーティストは、 直接の弟子ではないが、 棟方の 「世界に向かう日本人アーティスト」 のモデルを踏襲している。
現代の棟方
記念館
- 青森県青森市に棟方志功記念館 (2024 年閉館後、 移転計画中)
- 富山県南砺市 (福光町) に福光美術館
- 東京板橋区にも記念コレクション
教育での位置
- 中学校・高校の美術教科書に棟方の作品が掲載
- 日本の 20 世紀を代表するアーティストとして認識
- 「板画」 の思想は現代の版画教育にも影響
世界の美術館
- メトロポリタン美術館・大英博物館・ボストン美術館
- サンパウロ美術館
- 日本の東京国立近代美術館・ブリヂストン美術館など
棟方の意義
1. 「浮世絵」 から「近代版画」 への転換の完成
- 江戸浮世絵 → 新版画 → 創作版画 → 棟方の板画
- この流れの中で、 棟方は日本版画を世界美術史に位置付けた
- 現代の日本版画が「浮世絵の続き」 ではなく独立した近代美術として認識される背景に、 棟方の存在
2. 「地方から世界へ」 のモデル
- 青森の靴屋の子が世界的な評価を得る
- 現代の日本人アーティストの普遍的なモデル
- 「わだば ゴッホになる」 が現代の若手芸術家にも通じる
3. 日本的な精神性の可視化
- 仏教・郷土・自然を版画で表現
- 日本独自の美意識を世界に発信
- 現代の日本アニメ・マンガの世界的成功の遠い背景に、 棟方らの努力
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