茶の起源と伝来 — 陸羽 「茶経」・栄西 「喫茶養生記」
紀元前の中国雲南に始まる茶樹の栽培から、 唐代の陸羽 「茶経」 (760 年頃) による喫茶法の体系化、 最澄・空海による日本への薬用伝来 (805 年頃)、 平安中期の途絶を経て、 鎌倉初期の栄西 「喫茶養生記」 (1211) による再興、 源実朝への献茶と鎌倉武家社会への普及まで、 中国から日本への茶伝来の 400 年史を辿る。
茶の起源 — 中国雲南のチャノキ
茶の起源は 中国西南部、 雲南・四川一帯 のチャノキ (学名 Camellia sinensis) の原生林にある。 神話的には 神農 (しんのう) が 紀元前 2737 年に 発見したとされる。 中国最古の 神話的薬学書 [神農本草経] には、 神農が 百草を嘗めて毒に当たり、 茶葉によって解毒した という伝承が記される。 これは伝説だが、 茶が 古代より 薬として認識されていた ことを示す。
中国西南部の 雲南省には 樹齢千年を超える 野生茶樹 が現存し、 ここが茶の原産地と 推定される。
陸羽 「茶経」 — 世界最初の茶書
実用書として現存する 最古の茶書が、 唐代の 陸羽 (りくう、 733-804) による 「茶経」 (ちゃきょう、 760 年頃成立)。 「茶」 の字と、 栽培・製造・喫茶法が ここで体系化された。
「茶経」 は 全 3 巻 10 章:
- 一之源 — 茶の起源・植物学的特徴
- 二之具 — 茶を作る道具
- 三之造 — 茶葉の製造
- 四之器 — 茶を点てる道具
- 五之煮 — 茶を煮る方法
- 六之飲 — 飲み方
- 七之事 — 茶の歴史・故事
- 八之出 — 産地
- 九之略 — 道具の省略
- 十之図 — 図解
陸羽は 孤児として 竜蓋寺 (りゅうがいじ) で育ち、 後に隠遁して 茶を究めた。 その茶法は 団茶を炙って 粉末にし、 湯に塩と共に入れて煮る もので、 現代の抹茶法とは 異なる。
3 つの茶の形態
茶の飲み方は 時代と共に 3 段階で変化した:
- 団茶 (だんちゃ) — 茶葉を蒸して搗き、 餅状に固めたもの。 煮出して飲む。 唐代の主流
- 抹茶 (まっちゃ) — 蒸した茶葉を乾燥させ 石臼で粉末にしたもの。 湯に点てる。 宋代に確立
- 煎茶 (せんちゃ) — 茶葉を湯に浸して 抽出する。 明代に確立、 日本では 江戸中期に 売茶翁・永谷宗円が広めた
唐代の喫茶文化
唐代には 茶は 薬から嗜好品へ 移行した。 長安・洛陽の市場には 茶肆 (さし、 茶店) が立ち並び、 僧侶の眠気覚まし、 文人の交流の場として広まった。
陸羽の友人であった 詩僧・皎然 (こうねん) は 「茶歌」 を残し、 茶を 仙薬 として詠んだ。
最澄・空海の 渡来 — 日本への 初伝来
日本への伝来は 奈良・平安期の 遣唐使 を通じて。 3 人の重要人物:
- 最澄 (さいちょう) — 延暦 24 年 (805 年)、 比叡山に茶の種子を植えたという伝承が 日吉大社 に残る (日吉茶園)
- 空海 (くうかい) — 806 年に帰国、 嵯峨天皇に茶を献じたという
- 永忠 (えいちゅう、 743-816) — 815 年に 近江・崇福寺 で 嵯峨天皇に 煎茶 を献じた記録が [日本後紀] にあり、 日本における喫茶の 最初の確実な文献記録
ただし 平安初期の茶は あくまで一部の僧侶・貴族の 薬用であり、 平安中期以降は 遣唐使廃止と共に途絶 した。 再興は 鎌倉期の栄西を待つことになる。
宋代の 点茶 — 抹茶法の確立
宋代になると 団茶を粉末にし、 茶碗で直接湯と混ぜて点てる 「点茶法」 が成立した。 徽宗皇帝 (在位 1100-1125) は [大観茶論] を著し、 点茶の技法を 細かく論じた。
宋代の 建窯の天目茶碗 (曜変天目・油滴天目) はこの時代の茶器であり、 後に日本に渡って 国宝 となった。 現存の曜変天目 3 碗はすべて日本にある — 静嘉堂文庫・藤田美術館・大徳寺龍光院。
栄西 — 400 年ぶりの 再興者
平安中期以降 途絶していた日本の喫茶は、 鎌倉初期に 臨済宗の祖 明菴栄西 (みょうあん えいさい・ようさい、 1141-1215) によって再興された。
栄西の生涯
- 1141 — 備中吉備津宮の 神官 賀陽 (かや) 氏に生まれる
- 1154 — 14 歳で 比叡山にて出家、 天台教学を学ぶ
- 1168 — 第一次入宋 (半年)
- 1187-91 — 第二次入宋、 天台山万年寺・天童山景徳寺 で 4 年間修行。 虚菴懐敞 (こあん えしょう) の法を継いで 臨済宗黄龍派の 印可 を受ける
- 1191 — 帰国、 茶種子を持ち帰る。 平戸冨春庵、 背振山に植える
- 1195 — 博多 聖福寺 開創 — 日本最初の禅寺
- 1202 — 京都 建仁寺 開創 — 源頼家の援助
- 1211 — [喫茶養生記] 成立
- 1214 — 源実朝に献茶
- 1215 — 建仁寺で入寂、 75 歳
[喫茶養生記] — 日本最初の茶書
[喫茶養生記] (きっさようじょうき、 1211 年成立) は 日本最初の茶書。 上下二巻からなる。
上巻 (茶の章)
五臓 (肝・心・脾・肺・腎) の 養生と 茶の関係を論じる。 栄西は 冒頭で 「茶は 養生の仙薬なり、 延齢の妙術なり」 と記し、 心臓を養う苦味として 茶を位置づけた。 中国の医学書 [神農食経][広州記] などを引用しつつ、 茶の 植物学的特徴、 産地、 製法、 効能を述べる。
下巻 (桑の章)
桑の葉・実・皮の 薬効を論じ、 五病 (飲水病 = 糖尿病、 中風、 不食病、 瘡病、 脚気) の治療法を示す。 茶と桑を併用する処方も含まれる。
源実朝への 献茶 — 1214 年の 決定的瞬間
建保 2 年 (1214 年) 2 月 4 日、 将軍 源実朝 が 宿酔 (二日酔い) で苦しんだ際、 栄西が加持祈祷を行い、 また 「良薬」 として 茶を献じた。 これにより 実朝は 快癒し、 栄西は 茶の効能を記した一巻 (後の [喫茶養生記]) を 献上した、 と [吾妻鏡] は記す。
この出来事を契機に、 鎌倉武家社会で 喫茶習慣が広がり始めた。 400 年の空白を経て、 茶は 再び日本に定着する。
茶種子の 伝播
栄西が宋から持ち帰った 茶種子は、 まず 筑前博多近郊の 冨春庵、 次いで 背振山霊仙寺 の 岩上坊に植えられた。 さらに京都の 明恵上人 (みょうえ、 1173-1232) に分け与えられ、 明恵は 栂尾山高山寺 の 山中に茶園を開いた。 高山寺の茶は 「本茶」 と呼ばれ、 後に 宇治の茶 (「非茶」) と区別された。
明恵は 宇治にも茶を伝えた とされ、 宇治茶の祖 と仰がれる。 現在の宇治茶ブランドの 起源。
茶と 禅の結びつき
栄西は 禅僧として、 坐禅中の眠気覚まし・心身覚醒 のために 茶を重視した。 臨済宗の寺院では 作法化された喫茶 (四頭茶会 (よつがしらちゃえ) など) が行われ、 これが 後の茶道作法の 源流の一つとなる。
建仁寺 では 現在も 毎年 4 月 20 日、 栄西の誕生日に 四頭茶会 が行われている。 800 年続く伝統。 「茶禅一味」 の思想の 出発点。
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中国から日本への 茶伝来と、 栄西による 400 年ぶりの再興を辿った。 次記事では、 鎌倉末期から 室町前期の 闘茶 と 書院の茶 — 武家・公家の 豪奢な茶遊びから、 やがて 村田珠光 による 侘び茶の萌芽に向かう時代へ入る。 「上流階級の娯楽」 から 「侘びの美」 への、 大きな転換点を追う。