サンプラーとワークステーション — 現実の音を取り込む
電子鍵盤楽器の系譜、第 7 話。合成ではなく、本物の音を録音して鍵盤で鳴らす — サンプリングの発想。高価な Fairlight CMI から、手頃な Akai サンプラーがヒップホップを生み、Korg M1 が「一台で完結する」ワークステーションを完成させた。サンプリングは生楽器を模倣しながら、断片の切り貼りという全く新しい音楽をも生んだ。現実の音が電子鍵盤に流れ込んだ時代を辿る。
合成の逆 — 現実の音を録る
シンセは音を ゼロから合成 してきた (アナログの減算、 FM の変調)。 だが 1980 年前後、 正反対の発想が実用化する — 本物の音を録音 (サンプリング) して、 鍵盤の各音に割り当てて再生する。 ピアノもヴァイオリンも人の声も犬の鳴き声も、 「録れる音」 ならすべて鍵盤で演奏できる。
Fairlight CMI (1979) — サンプリングの始まり
オーストラリア製の Fairlight CMI は、 サンプリングとデジタル・シーケンスを統合した先駆的マシン。 光ペンで波形を編集できる未来的な装置だった。
- 超高価 — 家が買える値段。 一部のスター (ピーター・ガブリエル、 スティーヴィー・ワンダー、 YMO) だけが所有
- オーケストラ・ヒットや声のサンプルが 80 年代のヒット曲で鳴り響いた
Fairlight は 「現実の音を楽器にできる」 ことを示したが、 高価すぎて限られた者の道具だった。
Akai サンプラーとヒップホップ
サンプリングを民主化したのが、 手頃な価格の Akai MPC / S シリーズ などのサンプラーである。 これが新しい音楽ジャンルを生んだ:
- ヒップホップ — 既存レコードのドラムやフレーズを 切り取り (サンプリング)、 ループし、 組み替えて 新しいトラックを作る
- Akai MPC — サンプルをパッドに割り当て、 指で叩いて演奏 / 打ち込む。 ヒップホップ制作の中心機材に
- 「演奏する」 のではなく 「録音の断片を再構成する」 — 作曲の概念そのものを変えた
サンプリングは、 生楽器の模倣という当初の目的を超え、 断片の切り貼りという全く新しい創造 を生んだ。 これは第 2・6 話で見た 「模倣と創造の境界の曖昧さ」 の、 もう一つの現れである。
Korg M1 (1988) — ワークステーションの完成
サンプリング (正確には PCM 波形の再生) を核に、 一台で音楽制作が完結する 楽器が現れる。 それが Korg M1 — 史上最も売れたシンセの一つである。
「ワークステーション」 とは、 以下を 1 台に統合した鍵盤:
- PCM 音源 — ピアノ・ストリングス・ドラムなど実音ベースの豊富な音色
- エフェクト — リバーブ・コーラス等を内蔵
- シーケンサー — 曲を丸ごと打ち込み・録音できる
M1 の音色 (特に 「M1 ピアノ」 「M1 オルガン」) は、 90 年代のポップス・ダンス・ハウスで鳴りまくった。 鍵盤 1 台あれば、 音色選び・演奏・録音・完パケまでできる — この 「オールインワン」 の思想は、 以後のシンセの主流となった。
デジタルの多様化
同時期、 各社がデジタル音源で個性を競った:
- Roland D-50 (1987) — PCM の短いアタック音と合成音を組み合わせる LA 音源。 きらびやかな音で DX7 に対抗
- Roland JV/XP シリーズ — 拡張ボードで音色を増やせる 90 年代の定番音源
こうして電子鍵盤は、 アナログ (太い)・FM (硬質)・PCM (リアル) という 複数の音源方式が共存する 時代に入った。
ピアノ音の追求 — 家庭への道
ワークステーションの PCM 音源が高品質になると、 ある応用が本格化する — サンプリングでアコースティックピアノの音を精密に再現し、 家庭用の 「ピアノ」 として売る。
生ピアノは高価で場所を取り、 調律が要り、 音量も調整できない。 サンプリング技術は、 その 「ピアノを弾きたい」 という膨大な需要に応える鍵になった。
次記事では、 この デジタルピアノ — クラビノーバに代表される、 サンプリングでアコピを再現した電子鍵盤が、 一般家庭に定着していく様を辿る。