江戸期の女性俳人 — 加賀千代女と、 男社会のなかで俳句を作った女たち
江戸期の俳諧は圧倒的に男性中心の営みだったが、 なかで独自の位置を占めた女性俳人が存在した。 「朝顔に つるべ取られて もらひ水」 で全国的に有名な加賀千代女 (1703-1775) を軸に、 田捨女・秋色女・園女ら江戸期の女性俳人と、 男社会のなかで俳句を作った彼女たちの姿を辿る。
江戸期の女性俳人という存在
江戸期の俳諧 は、 現代の私たちの目には驚くほど男性中心 の営みに見える。 芭蕉、 其角、 嵐雪、 去来、 蕪村、 一茶 — 教科書に載る俳人はほぼ全員男性。 だが、 江戸社会のなかにも俳句を作った女性たち は確かに存在した。 「なかった」 ではなく、 「見えにくかった」 だけ。
江戸期の女性俳人が生きた条件:
- 教育: 富裕な商家・武家の娘は、 和歌・書・俳諧の教養を身につける機会があった
- 場: 男性主催の句会に女性が参加することは稀 (禁じられていた)、 女性同士の内輪の集まりが主
- 公表: 撰集への掲載は男性俳人の推薦次第。 男性名で発表することも
- 生涯: 結婚・出産・介護で俳諧を中断せざるを得ないことが多かった
こうした制約のなかで、 特に目立った 5 人 — 加賀千代女・田捨女・秋色女・園女・榎本星布 を中心に見ていく。
加賀千代女 — 「朝顔に つるべ取られて」 (1703-1775)
加賀千代女 (かがの ちよじょ、 1703-1775) は、 江戸期の女性俳人としては圧倒的な知名度 を持つ。 本名 福増千代 (ふくます ちよ)、 加賀国 (石川県) 松任 (現・白山市松任) 生まれ。 実家は表具師 (掛け軸・襖の職人)。
千代女は 12 歳頃から俳諧を学び、 各地を巡って支考 (蕉門十哲の 1 人) に師事、 卯七 (支考門下) に更に学ぶ。 15-16 歳の若さで才能を認められ、 全国の蕉門ネットワークに知られる存在に。
享保 5 年 (1720)、 17 歳で結婚。 だが夫は数年で死去、 一人息子も幼くして亡くす。 若くして未亡人となり、 生家に戻って表具業を継ぎながら俳諧を続けた。 50 代で出家、 「素園 (そえん)」 と名乗る。
代表句
「朝顔に つるべ取られて もらひ水」 (1720 年代)
- 朝顔 — 夏〜秋の花 (季語、 秋)
- つるべ — 井戸の水を汲む桶
- 朝、 井戸に水を汲みに行ったら、 つるべに朝顔の蔓が絡み付いていた
- 花をほどくのが忍びなくて、 隣家に 「もらい水」 に行った
「花を切らずに、 別の家に水をもらいに行く」 という優しい配慮 が、 千代女 17 歳頃 (伝) の代表句として全国に知られる。 この句は江戸中期にはすでに有名で、 「朝顔の千代」 と千代女は呼ばれた。
現代の視点から: この句を「女性らしい繊細さ」 と評すると、 ジェンダー的な決めつけになる。 男性俳人でも同じ発想はあり得る。 「花への配慮」 は千代女の個性であって、 「女性の特性」 ではない。
「起きて見つ 寝て見つ 蚊帳の 広さかな」
- 夜、 蚊帳のなかで
- 起きて見ても、 寝て見ても、 蚊帳が広い
- 亡くした夫 (または息子) を偲ぶ句と伝わる
「広さ」 が孤独を示す。 短い言葉で寡婦の心境を刻む、 千代女のもう一つの代表句。
「蜻蛉つり 今日はどこまで 行ったやら」
- 蜻蛉つり — 蜻蛉を捕まえること (幼子の遊び)
- 幼くして亡くした息子を思い出しての句
- 「息子は今日はどこまで蜻蛉を追いかけているのだろう」
日常の一場面から、 深い喪失感を引き出す。 これも千代女の代表句。
千代女の俳句観
千代女は芭蕉と支考の系譜 を受け継ぎつつ、 独自の穏やかな作風を確立。 蕉風の「侘・軽み」 の女性的な変奏、 と言えるかもしれない。 だが「女性的」 という枠に押し込めるより、 千代女個人の詩人としての達成 として評価するのが現代の視点。
千代女は 73 歳で没。 生涯に約 2,000 句を残したとされる。
田捨女 — 蕉門直系の初期女性俳人 (1633-1698)
田捨女 (でん すてじょ、 1633-1698) は、 寛永 10 年 (1633) 丹波柏原 (兵庫県) 生まれ。 千代女より 70 年前の世代で、 芭蕉と同時代の直接の女性弟子。
捨女の名は「捨てる」 ではなく、 「江戸時代の女性名の慣習」 で、 女性名の末尾に「女 (じょ)」 が付くのが敬称。 幼名は「福 (ふく)」 と伝わる。 6 歳の頃には既に句を詠んだと言われる神童。
代表句
「雪の朝 二の字二の字の 下駄のあと」 (6 歳の作、 伝)
- 雪の朝
- 下駄の跡が「二」 の字のように 2 列に並んでいる
6 歳の子供が下駄跡を「二の字」 に見立てた鮮烈な句として、 江戸期を通じて「神童 捨女の句」 として語り継がれた。 江戸初期の子供俳句としては最も有名。
捨女は 25 歳で結婚、 5 人の子を産んだが、 40 歳で夫を亡くして出家。 京都盤桓庵に住み、 芭蕉と直接会って句を交わした記録もある。 66 歳で没。
秋色女 — 江戸の遊女出身の女性俳人 (1669-1725)
秋色女 (しゅうしきじょ、 1669-1725)、 本名 お秋 は、 江戸に生まれた 其角 (蕉門十哲) の弟子。 家系については諸説あるが、 一説には遊女出身とも、 商家の娘とも伝わる。
秋色は 13 歳の時、 上野の花見で詠んだ句が有名。
代表句
「井戸ばたの 桜あぶなし 酒の酔」
- 井戸端の桜
- 危ない (井戸に落ちそう)
- (お花見客が) 酒に酔って
13 歳の秋色が、 大人の宴のなかで危険を機知で警告 した句。 花見の場で詠まれ、 其角に絶賛され、 それが評判となって秋色は一躍江戸で有名に。 やがて其角の門下として本格的に俳諧を学ぶ。
秋色女は 56 歳で没。 江戸座の女性俳人として、 その句は数百残っている。
園女 — 芭蕉と親交した伊勢の女性俳人 (?-1726)
園女 (そのじょ、 生年不詳-1726)、 本名 その は、 伊勢山田 (三重県伊勢市) の医者・斯波一有の妻。 芭蕉が伊勢を訪れた際 (1689 年など複数回) に直接会って句を交わした 数少ない女性俳人。
園女の夫 一有も俳人で、 夫婦で芭蕉を歓待した。 芭蕉自身が園女の句を賞賛した記録が『真蹟懐紙』 に残る。
代表句
「白菊の 目に立てて見る 塵もなし」
- 白菊 — 白い菊 (秋の季語)
- 目を凝らして見ても
- 塵ひとつない
白菊の清浄さを、 「塵もない」 と直接的に写す。 芭蕉が「園女に返せる句がない」 と評した (伝) と伝わる名句。
「もろこしの 舟をみるより 塩焚くや」
- もろこし — 唐 (中国) の船 (伊勢は海に面する国際的な港町だった)
- 塩を焚く (塩田の作業)
伊勢の海辺の情景。 園女は 65 歳前後で没。 芭蕉と親しく交わった女性俳人として、 現代の俳句史でも一定の位置を占める。
榎本星布 — 江戸中期の職業女性俳人 (1732-1814)
榎本星布 (えのもと せいふ、 1732-1814) は、 享保 17 年 (1732) 甲斐 (山梨県) 甲府生まれ。 名主の娘。 若くして江戸に出て、 江戸座の加舎白雄 (かや しらお) の弟子となる。 千代女の 30 年後の世代。
星布は江戸期には稀な 「独立して俳諧を職業とした女性」 で、 生涯結婚せず、 江戸座の女性宗匠として活動。 弟子筋を持ち、 撰集も刊行した。 これは江戸期の女性としては極めて例外的な生き方。
代表句
「盲女の 見馴れて咲くや 白牡丹」
- 盲女 — 目の見えない女性
- 白牡丹の花に「見慣れて」 咲く
見えないはずの盲女が「見慣れて」 咲く牡丹、 という逆説 を含む句。 触覚・香りで花を「見る」 という感覚の描写が、 星布の非凡さを示す。
星布は 83 歳で没。 独身女性としての生涯を全うし、 江戸中期の江戸座で存在感を持った稀有な女性俳人。
その他の江戸期女性俳人
上記 5 人以外にも、 江戸期には多数の女性俳人が存在した:
- 松永虚静 (しょえい きょせい) — 松永貞徳の娘、 貞門俳諧の女性
- 梶女 (かじじょ) — 京都の女性俳人、 芭蕉と同時代
- 智月尼 (ちげつに) — 大津の禅尼、 芭蕉と親交
- 千鶴 (せんかく) — 江戸中期の女性俳人
- 不徹 (ふてつ) — 京都の女性俳人
- 黒柳召波 — 蕪村門下の女性 (男性説もあり)
これらの女性は、 それぞれの土地・時代で俳諧を作り、 男性宗匠のネットワークの周辺で活動した。 現代の俳句史ではまだ発掘途上 の領域で、 21 世紀に入って研究者による再評価が進んでいる。
江戸期の「女流俳諧」 という枠
江戸中期以降、 「女流俳諧」 という概念が生まれる。 女性俳人の作品を集めた撰集や、 女性向けの俳諧入門書が刊行された。 例:
- 『三十六女歌仙』 (18 世紀中頃) — 江戸期の女性俳人 36 人を選んだ撰集
- 『閨秀俳諧 (けいしゅうはいかい)』 — 女性の俳諧を意味する語 (「閨秀」 = 才媛)
だがこれらは男性から見た「女流」 という枠付けで、 女性俳人を「男性とは違う特別枠」 に置く扱いでもあった。 現代の視点では、 この枠付け自体が問題視される。
明治以降の「女流」 の変遷
千代女らの江戸期女性俳人の伝統は、 明治以降の女性俳人 (三橋鷹女・杉田久女・橋本多佳子・中村汀女ら) に受け継がれる。 だが明治維新後、 女子の教育機会が拡大したことで、 女性俳人の層は江戸期とは比べ物にならないほど厚くなった。
現代 (21 世紀) では、 男女比の均衡が進み、 「女流俳人」 という呼称自体が違和感を持たれるようになっている。 現代俳人 神野紗希・佐藤文香・野口る理は、 「女流」 ではなく単に「俳人」 として活動する。
江戸期女性俳人の意義
江戸期の女性俳人が現代の俳句史にとって持つ意義:
- 「男性中心の江戸俳諧」 という単純化への反証 — 実際には女性も参加していた
- 市井の生活からの視点 — 男性が公務・遊興で見逃す家庭・育児・寡婦の生活 を句にした
- 口伝・写本での伝承 — 撰集への掲載が限られたため、 弟子から弟子への口伝・写本で残る作品が多い
- 21 世紀の再発見 — 現代のジェンダー研究・俳句史研究で、 埋もれた女性俳人の作品が発掘されつつある
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