ベートーヴェン — 32 のソナタ、 楽器の限界を 超えた作曲
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン (1770-1827) の 32 のピアノ・ソナタは 「新約聖書」 と呼ばれ、 [悲愴] [月光] [熱情] [ワルトシュタイン] [ハンマークラヴィーア] [ディアベリ変奏曲] は 300 年のピアノ音楽の頂点。 5 つのピアノ協奏曲、 とくに第 5 番 [皇帝] は 独奏楽器としてのピアノを 交響曲的な壮大さへと 昇華させた。 20 代後半から進む難聴の中で、 楽器の限界を超えて 大音量・広音域・複雑な構造の音楽を書き続けた 生涯を辿る。
ベートーヴェン — ピアノ音楽の 「新約聖書」
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン (Ludwig van Beethoven、 1770-1827) は、 ドイツ・ボン生まれ、 ウィーンで活動 した作曲家。 前記事 [モーツァルト・ハイドン] の 古典派を 継承しつつ、 ロマン派への 橋渡し となった 決定的人物。
前シリーズ [数学の系譜] の ガウス (1777-1855) と ほぼ同世代。 数学の 「王」 ガウスと、 音楽の 「巨人」 ベートーヴェンが 同じ 19 世紀初頭を 生きた。
32 のピアノ・ソナタ、 5 つのピアノ協奏曲、 変奏曲・小品 — ピアノ音楽の 中核を、 一人で 完成させた。 バッハ [平均律] を 「旧約聖書」 と呼ぶのに対し、 ベートーヴェンの 32 ソナタは 「新約聖書」 と 呼ばれる (ハンス・フォン・ビューロー、 19 世紀)。
生涯 — 3 期区分
初期 (1770-1802、 ウィーン第 1 期)
- 1770 年 12 月中旬 — ボンで誕生 (12 月 16 日説有力)
- 1787 年 — ウィーンで モーツァルト と 短い出会い (演奏を披露、 モーツァルトが 「この若者に 注目せよ」 と 予言、 という伝承)
- 1792 年 — 22 歳、 ウィーンに永住、 ハイドンに師事
- 1795 年 — ピアニストとして デビュー、 貴族の後援を得る
- 1800 年頃 — 難聴の 初期症状
中期 (1802-1815、 「英雄期」)
- 1802 年 — ハイリゲンシュタットの 遺書 (難聴による絶望から 一時 自殺を考える)
- 1804 年 — [交響曲第 3 番 英雄]、 ナポレオンに献呈するも 皇帝即位に憤り 献辞を破る
- 1808 年 12 月 22 日 — [第 5 交響曲 運命]・[第 6 交響曲 田園]・[ピアノ協奏曲第 4 番] 同時初演
- 1814 年 — ウィーン会議、 ベートーヴェンは 時代の 英雄 に
後期 (1815-1827)
- 1815 年頃 — 完全な難聴、 会話帳での 対話
- 1818 年 — [ハンマークラヴィーア・ソナタ]
- 1823 年 — [ディアベリ変奏曲]、 [ミサ・ソレムニス]
- 1824 年 5 月 7 日 — [第 9 交響曲 合唱] 初演。 演奏後、 難聴のベートーヴェンは 拍手が 聞こえず、 独唱者が 彼を 客席方向に 向かせて 熱狂を見せた
- 1827 年 3 月 26 日 — ウィーンで死去、 56 歳。 葬列に 2 万人
難聴 — 20 代からの 障害
ベートーヴェンの 難聴 は 20 代後半から 徐々に進行:
- 1800 年頃 — 高音が 聞こえにくくなる
- 1802 年 — ハイリゲンシュタットの 遺書
- 1810 年代 — 中音域も 失う
- 1815 年頃 — ほぼ完全な難聴
- 1820 年代 — 会話帳 (Konversationshefte) で 筆談
「音楽家が 耳を失う」 という 極限状況で、 [第 9 交響曲]、 後期弦楽四重奏、 ハンマークラヴィーア・ソナタ、 ディアベリ変奏曲 など 史上最大級の傑作 を書き上げた。
「頭の中で 音楽を作る」 完全な内的耳の 能力。 前シリーズ [数学の系譜] の オイラー (両目失明) と 通じる、 障害を 超えた 創造の 例。
32 のピアノ・ソナタ — 3 期に わたる集大成
ベートーヴェンの 32 のピアノ・ソナタ (Op. 2 - Op. 111) は、 生涯を通じて 書かれた。 ピアノ音楽の 最大の 単一体系。
初期 (1795-1800)
モーツァルト・ハイドンの 古典派様式を 継承しつつ、 より大規模・独立的。
- [第 8 ソナタ ハ短調 Op. 13] (1798) — 「悲愴 (Pathétique)」 、 序奏付き、 深い悲哀と 情熱
- [第 14 ソナタ 嬰ハ短調 Op. 27-2] (1801) — 「月光 (Moonlight、 伝承の副題)」 、 第 1 楽章の 静謐、 第 3 楽章の 疾風
中期 (1801-1814)
より劇的・大規模。 英雄的様式。
- [第 21 ソナタ ハ長調 Op. 53] (1804) — 「ワルトシュタイン (Waldstein)」 、 華麗な 序曲・長大な コーダ
- [第 23 ソナタ ヘ短調 Op. 57] (1805) — 「熱情 (Appassionata)」 、 短調の 究極、 最も情熱的
- [第 26 ソナタ 変ホ長調 Op. 81a] (1810) — 「告別」 、 3 楽章に「告別・不在・再会」の副題
後期 (1816-1822)
形式・和声の 自由な 実験。 バッハ的な 対位法、 変奏曲の 拡大、 神秘的な 深さ。
- [第 28 ソナタ イ長調 Op. 101] (1816) — 後期様式の 始まり、 対位法的
- [第 29 ソナタ 変ロ長調 Op. 106] (1818) — 「ハンマークラヴィーア」 、 演奏時間 45 分、 巨大なフーガ楽章、 世界で 最も困難なピアノ曲 の一つ
- [第 30 ソナタ ホ長調 Op. 109] (1820) — 変奏楽章、 天国的
- [第 31 ソナタ 変イ長調 Op. 110] (1821) — 嘆きの歌、 復活のフーガ
- [第 32 ソナタ ハ短調 Op. 111] (1822) — 最後のソナタ、 2 楽章のみ、 「地上を離れる音楽」
[ハンマークラヴィーア・ソナタ] Op. 106 — 極限
[第 29 ソナタ 変ロ長調 Op. 106] 「ハンマークラヴィーア」 は、 ピアノ史上最大級の 難曲:
- 演奏時間 — 45-50 分 (ベートーヴェン最長)
- 第 1 楽章 — 巨大な ソナタ形式
- 第 2 楽章 — 短い スケルツォ
- 第 3 楽章 — 20 分を超える アダージョ、 「深い悲しみ」
- 第 4 楽章 — 3 声のフーガ、 極めて 複雑
「ハンマークラヴィーア (Hammerklavier)」 は 単に ドイツ語で 「ピアノ」 の意 (「ハンマー付き鍵盤」)。 ベートーヴェン後期に この語を あえて 用いた。
現代では ポリーニ、 リヒテル、 ブレンデル、 内田光子、 藤田真央 らが 挑戦。 「ピアニストの 試金石」 の 究極形。
5 つの ピアノ協奏曲
ベートーヴェンの 5 つのピアノ協奏曲 は、 モーツァルトの 27 曲と 並ぶ 古典派協奏曲の 頂点:
| 番号 | 調性 | 年 | 特徴 |
|---|---|---|---|
| 1 番 | ハ長調 Op. 15 | 1795-1801 | 若きベートーヴェン自身が 独奏 |
| 2 番 | 変ロ長調 Op. 19 | 1787-1798 | 実際は 1 番より 早い作曲 |
| 3 番 | ハ短調 Op. 37 | 1800-1803 | 短調の傑作、 モーツァルト K.491 モデル |
| 4 番 | ト長調 Op. 58 | 1805-1806 | 静謐な冒頭、 ピアノから始まる 革新 |
| 5 番 | 変ホ長調 Op. 73 | 1809-1811 | 「皇帝 (Emperor)」 、 壮大、 交響曲的 |
「皇帝」 協奏曲
[ピアノ協奏曲第 5 番 変ホ長調 Op. 73] は、 「皇帝 (Emperor)」 という 副題 (ベートーヴェン自身の 命名ではない)。 1811 年 11 月 28 日、 ライプツィヒで初演。 難聴のベートーヴェン自身は 演奏せず、 弟子の フリードリヒ・シュナイダー が 独奏。 これ以降、 ベートーヴェンは 自作の 協奏曲を 演奏しなくなった。
[合唱幻想曲 Op. 80] (1808)
ピアノ・合唱・オーケストラのための [合唱幻想曲] は、 [第 9 交響曲] の 「歓喜の歌」 主題の 原型。 1808 年 12 月 22 日、 [第 5]・[第 6 交響曲] と 同じ演奏会で 初演。 ピアノ独奏で始まり、 徐々に楽器・合唱が 加わる 特異な形式。
[ディアベリ変奏曲] Op. 120 (1823)
アントン・ディアベリ (楽譜出版商) が 「オーストリアの 作曲家 50 人に 自作のワルツ主題で 変奏を書いてもらう」 計画を 立てた際、 ベートーヴェンは 単独で 33 の変奏曲 を 書き上げた。
- 50 分の 巨大変奏曲
- ディアベリの 単純なワルツ主題を、 ベートーヴェンが 哲学的に 深化
- [ゴルトベルク変奏曲] (バッハ) と 並ぶ、 変奏曲の 頂点
- 現代の 名演: ブレンデル、 セルキン、 ゼリマン・シュテファンス、 内田光子
[バガテル] — 短い小品
ベートーヴェンは 短い ピアノ小品 (Bagatelle) も 書いた。 [6 つのバガテル Op. 126] (1824) は 最後の ピアノ作品、 わずか 15 分の 6 曲。 「ベートーヴェン最後の ピアノ音楽」 として 深い 評価。
[エリーゼのために] (WoO 59) は 後世 発見された 小品、 世界一有名なピアノ曲の一つ (ベートーヴェン自身は 出版しなかった)。 「エリーゼ」 の 正体は 諸説あり、 テレーゼ・マルファッティ 説 が 有力。
ベートーヴェンの ピアノ
ベートーヴェンは 生涯を通じて 複数のピアノメーカー の 楽器を使用:
ウィーン式 (若い頃)
- アントン・ヴァルター (モーツァルトと 同じメーカー)
- アントン・グラーフ
- 軽いタッチ、 明晰な音
ブロードウッド (1817-)
- 1817 年、 ロンドンのブロードウッド社が 6 オクターブ 半のピアノを 献呈
- より重いタッチ、 大音量
- 難聴のベートーヴェンには 大音量が 感じられた
- 現存: リスト所蔵を経て、 現在 ハンガリー国立博物館
エラール (フランス製、 1803 年頃)
- エラール社から 献呈された ピアノ
- より広い音域 (5.5 オクターブ)
- [ワルトシュタイン・ソナタ] は この楽器を 想定して作曲
ベートーヴェンの ピアノ音楽は、 楽器の限界を 常に超えようと した。 音域の拡張、 音量の 大きさ、 複雑な和音 — 楽器メーカーが 常に 追いかける形。
「メトロノーム表示」 — テンポの 記録
1815 年頃、 メルツェルが メトロノームを発明。 ベートーヴェンは 熱心に 採用し、 自作の テンポを メトロノーム記号で 明示 した (作曲家として 初期)。
- [第 9 交響曲] — 各楽章に メトロノーム記号
- 多くの弦楽四重奏、 交響曲 に 適用
- ただし 記号が 現代の演奏より 速すぎる ケースが多く、 「難聴で 判断を誤った」 説、 「当時のメトロノームが 不正確」 説など、 現代でも 論争が続く
ベートーヴェンの 弟子と 系譜
ベートーヴェンには 正式な弟子は 少ない が、 影響を受けた 音楽家:
- カール・ツェルニー (1791-1857) — 直弟子、 ピアノ教育で 有名 (ツェルニー練習曲)。 ツェルニーの 弟子が リスト — この 3 代の系譜が 「ベートーヴェン → ツェルニー → リスト → ダルベール、 ローゼンタール」 と 続く
- フェルディナント・リース (1784-1838) — 弟子、 ベートーヴェンの 秘書役
- アントン・シンドラー (1795-1864) — 秘書、 ベートーヴェンの 最初期の伝記作者 (ただし 多くの 捏造が 後世指摘)
現代ピアニストの ベートーヴェン
「ベートーヴェンを 弾かずして ピアニストとは 名乗れない」 という 業界通念:
- アルトゥル・シュナーベル (1882-1951) — 20 世紀最初の 32 ソナタ全集録音
- ヴィルヘルム・バックハウス (1884-1969) — ドイツ流の 重厚な ベートーヴェン
- ヴィルヘルム・ケンプ (1895-1991) — 詩的な ベートーヴェン
- クラウディオ・アラウ (1903-1991) — チリ、 深い ベートーヴェン
- エミール・ギレリス (1916-1985) — ソ連、 未完の 全集
- アルフレート・ブレンデル (1931-) — 3 回の 全集録音
- マウリツィオ・ポリーニ (1942-2024) — イタリア、 後期ソナタで 有名
- ダニエル・バレンボイム (1942-) — 弾き振り
- アンドラーシュ・シフ (1953-) — 全集、 講義シリーズ
- 内田光子 (1948-) — 後期の 深さ
- イーゴル・レヴィット (1987-) — 若き 全集録音者
各世代の 名ピアニストが 32 ソナタに 挑む — 「ピアニストの 生涯の課題」 としての ベートーヴェン。
現代への 影響
ピアノ音楽の 「頂点」
32 ソナタ、 5 協奏曲、 変奏曲は クラシック・ピアノ音楽の 最重要曲群。 世界の コンサート・ピアノ教育・レコード産業の 中核。
楽器製造への 影響
ベートーヴェンの 音域拡張・音量要求 が、 ブロードウッド、 エラール、 後の スタインウェイ の 楽器発展を 促した。
「英雄的音楽」 の 誕生
ベートーヴェン以降、 「音楽は 個人の 情熱・戦い・勝利を 表現する」 という ロマン派の 発想 が確立。 ショパン、 リスト、 ワーグナー、 マーラーへの 直接の影響。
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ベートーヴェンの ピアノ音楽を辿った。 次記事では、 フレデリック・ショパン (1810-1849) — 「ピアノの詩人」 に入る。 ポーランド出身、 パリでの活動、 バラード、 スケルツォ、 マズルカ、 ポロネーズ、 ノクターン、 練習曲、 前奏曲 — ほぼ 全作品が ピアノ、 という 稀有な作曲家。 39 歳で結核死 した 短い生涯と、 サンドとの 関係、 ロマン派ピアニズム の 完成形 を辿る。