《北斎漫画》 — 4000 図の百科事典と、 「マンガ」 という語の起源
1814 年、 名古屋で刊行された《北斎漫画》 初編。 その後 100 年近くかけて全 15 編、 4000 点以上の図を収録した江戸最大の絵手本。 人物・動物・植物・建築・幽霊・格闘・生活道具まで、 江戸のあらゆるものを描き分ける北斎の技術大全。 現代の 「マンガ」 という語の起源、 ヨーロッパへの流出、 20 世紀日本マンガへの影響までを辿る。
《北斎漫画》 とは
《北斎漫画 (ほくさい まんが)》 は、 葛飾北斎が 1814 年 (文化 11) から 1878 年 (明治 11) にかけて刊行した絵手本 (えでほん) — 絵の教科書。 全 15 編、 一冊あたり 100-200 図、 合計 4000 点以上の図を収録した、 江戸最大の絵の百科事典。
「漫画」 という語は、 現代日本語のマンガ (comic) の直接の語源。 だが北斎漫画は現代マンガとは違う:
- ストーリーはない — 一図一図が独立
- セリフ・吹き出しはない
- 「描き方の見本帳」 — 絵師志望者・アマチュア絵描きが模写する教科書
- 「漫画」 = 「気の向くままに (漫ろに) 描いた画」 — スケッチ集の意
つまり北斎漫画は 「デッサン・スケッチの百科事典」 。 現代のマンガとは別物だが、 20 世紀の日本マンガの絵の描き分け技術の源流の一つになる。
誕生 — 名古屋の旅で
1812 年、 北斎 53 歳の旅
- 1812 年秋、 北斎は名古屋へ旅する
- 目的は弟子筋・愛好家への出張指導
- 名古屋の門人 牧墨僊 (まき ぼくせん) の家に半年滞在
- 滞在中、 大量のスケッチを紙に描き溜める
牧墨僊は自身も絵師で、 北斎の絵を版本化して江戸・上方に流通させる企画を持っていた。
1814 年、 初編刊行
- 1814 年、 名古屋の版元 永楽屋東四郎 (えいらくや とうしろう) から 《伝神開手 北斎漫画》 初編刊行
- 表紙に「伝神開手 (でんしんかいしゅ)」 = 「神を伝え、 手を開く」 = 絵の極意を伝える意
- 半紙本 (縦約 22cm) の絵本、 モノクロ (墨と薄墨・淡彩)
- 初編だけで大ヒット、 江戸・京・上方で再版
続編の刊行
- 1815 年、 二編・三編
- 1816-1817 年、 四編・五編
- 以後、 数年おきに続編
- 1849 年、 北斎 89 歳で死去 — この時点で 13 編まで
- 1878 年 (明治 11)、 14 編・15 編が没後刊行
- 全 15 編、 総図数 4000 以上
北斎の死後 30 年まで続編が出続けた事実は、 このシリーズの継続的な需要を示す。 江戸-明治期を通してロングセラーの絵の教科書だった。
4000 図の分類
《北斎漫画》 の主題は極めて多岐に渡る。 大まかな分類:
1. 人物 (最も多い)
- 職業別 — 武士・農民・職人・商人・僧侶・遊女・芸人
- 動作別 — 走る・跳ぶ・座る・寝る・食べる・戦う・踊る
- 表情別 — 笑う・泣く・怒る・驚く
- 群像 — 祭・市場・宴会・喧嘩の情景
北斎は動きの瞬間を捉えるのが得意で、 特に格闘・武術・舞踊のポーズが充実している。 これは後世のマンガ・アニメの動作作画に直接影響する。
2. 妖怪・幽霊・怪異
- 江戸の妖怪図鑑の原型
- 河童・鬼・骸骨・化け猫・雷神・風神
- 《風神雷神図》 系の妖怪観の集成
- 現代の妖怪ウォッチ・もののけ姫などのビジュアル的起源の一つ
3. 動物
- 犬・猫・鳥・魚・虫・馬・象・獅子・虎
- 架空の動物 (獏・麒麟・龍) も含む
- 動物の骨格・筋肉・動きを科学的観察に基づいて描く
4. 植物
- 桜・松・竹・梅・蘭・藤・菊
- 葉・花・幹の描き方
- 四季の草木の百科的な網羅
5. 建築・風景
- 神社仏閣・城郭・町家・農家
- 屋根・柱・欄干の構造描写
- 山水の描き方 (雲・水・岩)
6. 生活道具
- 台所道具・農具・武具・楽器
- 道具の使い方 (人物と組み合わせて描く)
- 江戸の物質文化の視覚的記録
7. 波・水・雲
- 水の表現 の百科事典
- 《神奈川沖浪裏》 の波の造形は、 《北斎漫画》 の水の描き方の集大成
- 雲の 100 種類以上の描き方
描き方の教科書として
《北斎漫画》 の設計思想は 「見てそのまま真似できる」 こと。
- 単色 (墨と薄墨) で色に惑わされない
- 輪郭線と陰影の区別が明確
- 段階的な描き方 — 骨格 → 肉付け → 衣装 の順で示す図もある
- 視点の変化 — 同じ物を正面・横・斜めから描く比較
これは現代のHow to Draw 本の原型。 北斎は絵の技術を「秘伝」 として抱え込まず、 公開する教育者でもあった。
「漫画」 という語
「漫画」 の語は北斎以前からあった:
- 中国の絵画用語 — 「漫」 = のらりくらり、 「画」 = 絵
- 江戸中期の日本語でも「漫画」 = 気ままに描いた絵
- 北斎以前にも 鍬形蕙斎 (くわがた けいさい) が『略画式』 (1795) や『鳥獣略画式』 で類似の絵手本を出していた
北斎が「漫画」 と命名したのは:
- 絵手本の一つの様式として広めるため
- 「本格的な絵ではない」 と謙遜する意味も含む
- 実際には極めて完成度の高いスケッチ集
明治以降、 新聞・雑誌の風刺画・戯画が「漫画」 と呼ばれるようになり、 やがて 20 世紀の物語漫画 (manga) の語源となる。
ヨーロッパへの流出
「見つかったきっかけ」 — 陶器の緩衝材
19 世紀後半、 有田・伊万里などの日本の陶器がヨーロッパに輸出される際、 緩衝材として使い古しの浮世絵版画・絵本が挟まれていた。
1856 年、 パリの版画家 フェリックス・ブラックモン (Félix Bracquemond) が、 陶器の梱包材として使われた 《北斎漫画》 の一冊を発見。 これがヨーロッパの美術界に衝撃を与える。
ジャポニズムの起爆剤
- ブラックモンは友人の画家に《北斎漫画》 を紹介
- マネ・ドガ・モネらが《北斎漫画》 を研究
- パリの画商 ジークフリート・ビング (Siegfried Bing) が浮世絵専門店を開き、 《北斎漫画》 の再版を出版
- 印象派の線の使い方、 平面的構図、 切り取り的視点が《北斎漫画》 から吸収される
ドガ (1834-1917) の影響
- 《北斎漫画》 のバレエ・格闘の動きのスケッチ
- ドガのバレエダンサーの連作の造形感覚
- 人物を斜めから切り取る構図
ロダン (1840-1917)
- 彫刻家ロダンも《北斎漫画》 を愛用
- 「北斎はミケランジェロと並ぶ天才」 と発言
20 世紀日本のマンガとの繋がり
現代日本のマンガは、 直接的には明治-昭和期の欧米の風刺画・comic stripの影響で発達する。 だが北斎漫画は日本のマンガの:
1. 動きの表現
- 格闘・剣戟・スポーツの動作作画
- 現代の少年マンガのアクション描写の下地
- 手塚治虫は北斎漫画を愛蔵していた
2. 動物・妖怪の描き分け
- 水木しげるの妖怪、 鳥山明 のドラゴンの造形は、 江戸の妖怪画・北斎漫画の系譜
- 《呪術廻戦》 や 《鬼滅の刃》 の妖怪ビジュアルにも間接的影響
3. 職人・生活の細部描写
- 江戸の風俗描写の精緻さ
- 現代の歴史マンガ (『鬼平犯科帳』 『バガボンド』 など) の背景描写の参照元
つまり北斎漫画は 「マンガ」 という言葉と、 マンガの視覚文法の両方の遠い先祖に位置する。
現代の《北斎漫画》 の評価
現代の学術・美術界での位置付け:
世界の美術館
- ボストン美術館 — 全 15 編を完全収蔵
- メトロポリタン美術館 — 主要編を収蔵
- 大英博物館 — 主要編を収蔵
- 日本国内ではすみだ北斎美術館 (2016 年開館、 東京)
展覧会の頻出テーマ
- 《北斎漫画》 展は世界各地で定期的に開催
- 特にジャポニズム展の中核作品として扱われる
復刻・再版
- 岩波文庫、 中公新書、 図書館サイズの全 15 編復刻版
- 現代の絵描き志望者にとっても実用的な絵手本
北斎の他の絵手本
《北斎漫画》 以外にも北斎は多数の絵手本を残している:
- 《略画早指南》 (1812) — 簡単な絵の描き方
- 《北斎写真画譜》 (1814) — 花鳥画の写生集
- 《絵本彩色通》 (1824) — 色彩の教科書
- 《富嶽百景》 (1834-49) — 富士 100 図
- 《画本東都遊》 (1802) — 江戸の名所絵本
これらを合わせると、 北斎の生涯の作品の 3 分の 1 以上が絵手本という計算になる。 北斎は絵師であると同時に、 絵の教育者だった。
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北斎と同時代、 もう一人の風景画の巨匠がいた。 歌川広重 (うたがわ ひろしげ、 1797-1858)。 北斎より 37 歳年下の広重は、 北斎の《富嶽三十六景》 に触発されつつも、 《東海道五十三次》 で全く違う風景画の道を歩む。 北斎の豪快・革新に対して、 広重の抒情・静謐。 次記事では広重の生涯と《東海道五十三次》 を辿る。