コレッリとヴィヴァルディ — バロック協奏曲の確立
1653 年生まれのアルカンジェロ・コレッリが ヴァイオリン奏法と合奏協奏曲の基礎を体系化し、 1678 年生まれの「赤毛の司祭」アントニオ・ヴィヴァルディが 500 曲近い協奏曲を量産、 [四季] で描写音楽の頂点を極めた。 通奏低音とリトルネッロ形式、 ヴェネツィアのピエタ養育院、 そしてバッハへの影響まで — ヴァイオリンが独奏楽器として確立したバロックの 100 年を辿る。
ヴァイオリンが 「主役」 になる
楽器としての ヴァイオリンは 1600 年頃に完成した。 だが 独奏楽器としての 地位 を築いたのは バロック時代の 作曲家たち。 中心にいたのが コレッリ と ヴィヴァルディ — この 2 人が ヴァイオリン協奏曲という ジャンルを確立した。
コレッリ — 「ヴァイオリン奏法の父」
アルカンジェロ・コレッリ (Arcangelo Corelli、 1653-1713) は ローマで活躍した ヴァイオリニスト兼作曲家。 ヴァイオリン演奏の基礎を 体系化した最初の人とされる。
業績
- 合奏協奏曲 (concerto grosso) の 形式を確立 — 少人数の独奏群 (concertino) と 合奏 (ripieno) が 掛け合う
- [合奏協奏曲集 作品 6] (全 12 曲) — バロック協奏曲の 規範
- [ヴァイオリン・ソナタ 作品 5] — 教育的名作、 全ヨーロッパで 教材に
- 弓の運び・運指・重音 の 奏法を 整理し、 後世の教則の土台に
コレッリの音楽は 均整と気品 — 派手さより 端正さ。 弟子筋から ヨーロッパ中に ヴァイオリン奏法が 広まった。 「コレッリ楽派」 は 18 世紀ヴァイオリン教育の 幹となる。
ヴィヴァルディ — 「赤毛の司祭」
アントニオ・ヴィヴァルディ (Antonio Vivaldi、 1678-1741) は ヴェネツィアの ヴァイオリニスト兼作曲家。 司祭に叙階されたが 赤い髪から 「赤毛の司祭 (il Prete Rosso)」 と呼ばれ、 喘息を理由に ミサを執り行わず 作曲に専念した。
ピエタ養育院
ヴィヴァルディは ピエタ養育院 (Ospedale della Pietà) の 音楽教師を 長年務めた。 これは 孤児の少女たちの 音楽学校で、 彼女たちの合奏団は ヴェネツィアの 名物だった。 ヴィヴァルディの 膨大な協奏曲の 多くは、 この 少女オーケストラのための教材・演奏曲として書かれた。
量産の作曲家
- 500 曲近い協奏曲 — うち 約 230 曲が ヴァイオリン協奏曲
- リトルネッロ形式 — 合奏の主題 (リトルネッロ) と 独奏が 交互に現れる。 後の協奏曲の 標準構造に
- 「同じ曲を 500 回書いた」 と 揶揄されることもあるが、 その 生産力と 明快な様式が バロック協奏曲の 基準を作った
[四季] — 描写音楽の頂点
ヴィヴァルディ最大の名声は [四季] (Le quattro stagioni、 1725 年出版) — [和声と創意の試み 作品 8] の 最初の 4 曲。
- 春・夏・秋・冬 の 4 つのヴァイオリン協奏曲
- 各曲に ソネット (詩) が付き、 鳥のさえずり、 雷雨、 氷の上で滑る様子 などを 音で描写
- 標題音楽 (program music) の 先駆
- 現代でも クラシックで 最も有名な曲の一つ、 CM・映画で 頻用
[四季] は 「ヴァイオリンで 情景を描く」 という 表現の可能性を 決定的に示した。 独奏ヴァイオリンが 主人公として 物語を語る — この発想が バロック以降の 協奏曲を支える。
通奏低音 (basso continuo) の時代
バロック音楽の 特徴は 通奏低音 — チェンバロ (または オルガン) と チェロ・ガンバが 和声の土台を 即興的に埋める 演奏習慣。
- 独奏ヴァイオリン + 通奏低音、 という ソナタの標準編成
- 数字付き低音 (figured bass) の 記譜から 奏者が 和音を補う
- チェンバロが 和声、 ヴァイオリンが 旋律 という 役割分担
この 通奏低音の文化は バロック特有で、 古典派で 姿を消す。 古楽演奏の 復活で、 現代でも 通奏低音付きの バロック演奏が 聴ける。
イタリアから ヨーロッパへ
コレッリ・ヴィヴァルディの ヴァイオリン音楽は イタリアから 全ヨーロッパに 輸出された:
- ドイツ — バッハが ヴィヴァルディの協奏曲を チェンバロ・オルガン用に編曲 して研究 (次記事)
- フランス — ルクレールが フランス・ヴァイオリン楽派を築く
- イギリス — コレッリの ソナタが 教材として 定着
「イタリアの ヴァイオリン様式」 が バロック後期の 汎ヨーロッパ標準になった。 楽器 (クレモナ) も 音楽 (コレッリ・ヴィヴァルディ) も、 ヴァイオリン文化は イタリア発だった。
バッハへの橋渡し
ヴィヴァルディの協奏曲は、 J.S. バッハ (1685-1750) に 決定的影響を与えた:
- バッハは ヴィヴァルディの協奏曲を 少なくとも 10 曲以上 編曲して 研究
- リトルネッロ形式 を吸収し、 自身の協奏曲・カンタータに応用
- バッハの [2 つのヴァイオリンのための協奏曲] (BWV 1043)、 [ヴァイオリン協奏曲 イ短調・ホ長調] は バロック協奏曲の 精華
そして バッハは 別方向に ヴァイオリン音楽を 極める — 伴奏なしの 独奏ヴァイオリンだけで 対位法の宇宙を築く。 それが次記事の テーマ。
この記事から次の記事へ
バロックの ヴァイオリン協奏曲 — コレッリの 基礎確立と ヴィヴァルディの [四季] を辿った。 次記事では J.S. バッハの [無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ] (BWV 1001-1006) — たった 1 挺のヴァイオリンで フーガや シャコンヌを構築した、 ヴァイオリン音楽 最高峰の 一つに迫る。