六歌仙 — 在原業平と小野小町、 平安の恋の象徴となった六人

紀貫之が古今和歌集の仮名序で名を挙げた 9 世紀後半の 6 人の歌人、 六歌仙 (ろっかせん)。 「ちはやぶる 神代も聞かず 竜田川」 の在原業平、 絶世の美女伝説の小野小町、 出家の僧正遍昭、 隠者の喜撰法師、 巧言の文屋康秀、 山人風の大友黒主。 平安の恋物語の原型となった六人を辿る。

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「六歌仙」 という括り

六歌仙 (ろっかせん) とは、 紀貫之が『古今和歌集』 の仮名序 (かなじょ) で名を挙げた 6 人の歌人:

  1. 僧正遍昭 (へんじょう、 816-890)
  2. 在原業平 (ありわらの なりひら、 825-880)
  3. 文屋康秀 (ふんやの やすひで、 生没年不詳)
  4. 喜撰法師 (きせん、 生没年不詳)
  5. 小野小町 (おのの こまち、 生没年不詳)
  6. 大友黒主 (おおともの くろぬし、 生没年不詳)

いずれも 9 世紀後半 に活動した、 古今集より一世代前の歌人。 貫之から見れば「先輩世代」 であり、 仮名序ではやや辛口の批評もあるが、 その存在自体は古今集の前史として重要視された。

「歌仙 (かせん)」 という語は「歌の仙人」 の意で、 のちの平安期には六歌仙の名を持つ絵画・掛軸が作られるほど、 神格化された。

在原業平 — 恋の歌人にして『伊勢物語』 の主人公

出自と経歴

在原業平 (ありわらの なりひら) は、 825 年 (天長 2) 生まれ、 880 年 (元慶 4) 没。 平城天皇の孫、 阿保親王の五男。 皇孫でありながら、 政治的な理由で臣籍降下し「在原」 姓となる。

貴族としての地位は中流だが、 美男子で歌の才があり、 女性関係の伝説が多数残る。 実際には藤原氏の政治的隆盛の中で不遇な生涯を送った、 とも解釈される。

代表歌 1: 竜田川の紅葉 (古今集巻 5、 294)

「ちはやぶる 神代も聞かず 竜田川 韓紅 (からくれない) に 水くくるとは」

  • ちはやぶる — 神を導く枕詞
  • 神代も聞かず — 神々の時代にも聞いたことがない
  • 竜田川 — 奈良県の紅葉の名所
  • 韓紅 — 韓 (中国) から伝わった鮮やかな紅色
  • 水くくるとは — 水を紅で括り染めにするとは

紅葉が川面を覆う光景を、 「神代でも聞かない、 川の水を紅で染め上げるとは」 と誇張して詠む。 色彩の華麗さ、 誇張の技法、 業平らしい派手な作風の代表。

『伊勢物語』 106 段では、 二条后 (清和天皇の后、 業平の恋人と伝わる) の御前で屏風の絵に添えて詠まれた歌とされる。

代表歌 2: 月と桜 (古今集巻 1、 53)

「世の中に たえて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし」

世の中に全く桜がなかったなら、 春の心はのどかだったろうに。 桜があるから春は心騒ぐという逆説。 業平の代表的な逆説の歌。

現代語訳: 「もし桜がなかったら、 春はもっとのんびり過ごせるのに (でも桜があるから心が落ち着かない)」 — 桜への愛情を、 敢えて否定形で表現する繊細な技巧。

代表歌 3: 別れの朝 (古今集巻 15、 747)

「月やあらぬ 春や昔の 春ならぬ 我が身ひとつは もとの身にして」

  • 月やあらぬ — 月は (かつての月と) 違うのか
  • 春や昔の 春ならぬ — 春は昔の春ではないのか
  • 我が身ひとつは もとの身にして — 私の身だけは、 昔のままなのに

かつて愛した女性 (二条后とされる) が去った後、 同じ月の下で立ちすくむ。 「月・春・自分」 のうち、 自分だけが変わっていないのに、 世界の全てが変わってしまった、 という恋の喪失感を極限まで凝縮した名歌。

『伊勢物語』 4 段の中心の歌でもある。

『伊勢物語』 との関係

『伊勢物語』 (10 世紀前半成立) は、 主人公 「男」 (=業平のモデル) の恋愛遍歴を 125 段にまとめた歌物語。 業平の実在の歌 + 物語風の詞書、 で構成される。

『伊勢物語』 が業平の伝説を作った側面は大きい:

  • 「昔、 男ありけり」 で始まる各段
  • 二条后・伊勢斎宮・東下りなど、 業平の女性遍歴の伝説
  • 死の直前の歌 「つひにゆく 道とはかねて 聞きしかど 昨日今日とは 思はざりしを」 (最後についに行く道と聞いてはいたが、 それが昨日今日のことだとは思わなかった) — 業平の辞世

業平は歴史的人物であると同時に、 『伊勢物語』 の主人公として神格化された。 のちの『源氏物語』 の光源氏も、 業平をモデルにした側面がある。

小野小町 — 絶世の美女伝説の歌人

経歴 — 謎に包まれた歌人

小野小町 (おのの こまち) は、 9 世紀後半に活動した女性歌人。 生没年、 出自、 実在の詳細 すべて不明。 「小野氏の女性」 という以外の確たる史料がない。

伝承では:

  • 仁明天皇 (833-850) の更衣 (こうい、 后の下位) だったとも
  • 絶世の美女として讃えられた
  • 晩年は零落し、 老いた乞食となった (これは後世の伝説)

古今集に 18 首が収録される。 貫之は仮名序で: 「あはれなるやうにて、 強からず。 いはば、 よき女の悩めるところあるに似たり」 (哀感はあるが、 力強くない。 言うなれば、 美しい女性が悩んでいるのに似ている)

と評した。 これは辛口の批評だが、 同時に 小町の歌が「美しい女性の悩み」 を表現している ことを認めている。

代表歌 1: 桜と時間 (古今集巻 2、 113)

「花の色は 移りにけりな いたづらに 我が身世にふる ながめせしまに」

  • 花の色は 移りにけりな — 花の色は褪せてしまった
  • いたづらに — むなしく
  • 我が身世にふる — 私の身が世に長らえる (掛詞: 「ふる」= 経る + 降る)
  • ながめせしまに — 眺めて (物思いに耽って) いる間に

桜の色が褪せる情景と、 自分の身の老いを、 「ふる (経る/降る)」 「ながめ (眺め/長雨)」 の掛詞で重ねる。 恋の煩悶の中で年老いていく女性の情感を凝縮した、 平安和歌の最高峰の一つ。

百人一首 9 番 にも採られ、 現代日本人に最も知られた古今集の歌。

代表歌 2: 夢と現実 (古今集巻 12、 552)

「思ひつつ 寝ればや人の 見えつらむ 夢と知りせば 覚めざらましを」

(注: これは古今集で貫之の歌としても記録が混在するが、 一般には小町の代表歌として知られる)

思いながら寝たので、 あの人が (夢に) 見えたのだろうか。 夢と知っていたら、 覚めないでいたのに。 恋の夢の後の余韻を微細に刻む。

代表歌 3: 秋の月と嘆き (古今集巻 4、 187)

「侘びぬれば 身を浮草の 根を絶えて 誘ふ水あらば いなむとぞ思ふ」

侘びしくなったので、 身を浮草のように根を絶やして、 誘う水があればついて行こうと思う。 恋に疲れて、 流されるままに生きたいという、 平安女性の宿命的な心境。

小町伝説

実在の小町の姿はほとんど不明だが、 平安中期以降、 絶世の美女 としての伝説が肥大化する:

  • 深草少将百夜通い — 小町を慕う深草少将が、 100 日通い続ける約束をしたが、 99 日目に凍死したという伝説 (『玉造小町壮衰書』)
  • 老衰した小町 — 若い時の美貌の後、 老いて醜くなった小町を描く絵 (九相図など)
  • 謡曲『通小町』 『卒都婆小町』 — 世阿弥らの謡曲で、 小町の老後を主題化

これらの伝説は 「美女の栄華と零落」 という無常観を体現するものとして、 中世-近世を通じて日本文化の重要な主題となった。

僧正遍昭 (へんじょう、 816-890)

遍昭 は、 桓武天皇の孫、 良岑安世の子。 俗名良岑宗貞 (よしみねの むねさだ)。 仁明天皇の側近として仕えたが、 天皇の崩御 (850) に伴い出家、 のちに天台座主 (最高位) となった。

貫之は仮名序で「歌の様は得たれども、 まことすくなし (形は良いが誠実さが少ない)」 と辛口。

代表歌 (古今集巻 4、 226)

「天つ風 雲の通ひ路 吹き閉ぢよ 乙女の姿 しばしとどめむ」

  • 天の風よ、 雲の通り道を吹き閉じてくれ
  • 乙女 (=五節の舞姫) の姿をしばらく留めよう

五節の舞 (11 月の宮中儀式) で舞姫を見た印象を、 「天上の雲の通い路を閉じよ」 と壮大に詠む。 百人一首 12 番

喜撰法師 (きせん)

喜撰 は、 宇治山に住んだ隠者の僧、 とされる。 実在の詳細は不明。 古今集にわずか 1 首しか残らない。

「我が庵は 都のたつみ しかぞ住む 世をうぢ山と 人はいふなり」 (古今集巻 18、 983)

  • 私の庵は都の東南に位置する
  • しか (鹿) が住む山として、 憂き (=宇治) 山と人は言っている

「うぢ (憂し/宇治)」 の掛詞で、 宇治山と憂き山を重ねる。 百人一首 8 番。 隠者らしい淡々とした心境を、 掛詞の技巧で刻む。

文屋康秀 (ふんやの やすひで)

文屋康秀 は、 6 位程度の下級官人、 とされる。 三河守などを歴任。 古今集に 6 首。

代表歌 (古今集巻 5、 249)

「吹くからに 秋の草木の しをるれば むべ山風を 嵐といふらむ

  • 吹くと即座に、 秋の草木がしおれるので
  • なるほど山風 (=山下ろし) を嵐 (荒らし) と言うのだろう

「山風」 = 「嵐」 という漢字の分解遊び (山 + 風 = 嵐)。 百人一首 22 番。 言葉遊び (物名歌に近い) の技巧を示す。

貫之の批評「言葉は巧みにて、 その様、 身に負はず (言葉は巧いが、 内容が伴わない)」 は、 こうした技巧偏重を指したもの。

大友黒主 (おおともの くろぬし)

大友黒主 は近江国 (現・滋賀県) の豪族、 とされる。 生没年・出自の詳細は不明。 古今集に 3 首。

代表歌 (古今集巻 8、 899)

「思ひ出でて 恋しき時は 初雁の 鳴きて渡ると 人は知らずや」

思い出して恋しくなる時は、 初雁 (北から渡ってくる雁) のように鳴いて渡っていることを、 あの人は知らないだろうか。

貫之の批評「その様卑し (品が下がる)」 は厳しいが、 現代の目からは素朴で親しみのある歌に見える。

六歌仙の意義

1. 「歌人」 という概念の確立

六歌仙以前は、 万葉集の歌人 (人麻呂・赤人・憶良ら) が「歌人」 として認識されていたが、 それは「集めた歌の作者」 という意味合いが強かった。 六歌仙は 「歌に生涯を懸けた人」 としての意識を持った最初の世代。

2. 個性の対比

6 人の作風が明確に異なる:

  • 業平 — 情熱、 逆説、 派手さ
  • 小町 — 内省、 掛詞、 女性性
  • 遍昭 — 出家、 儀礼、 壮大
  • 喜撰 — 隠者、 淡々、 技巧
  • 康秀 — 言葉遊び、 巧言
  • 黒主 — 素朴、 親しみ

これは古今集の「多様な美意識の共存」 を予告する。

3. 恋歌の中心化

特に業平と小町の存在で、 和歌の中心主題として「恋」 が確立された。 これは万葉集の「恋も含む幅広い主題」 とは異なり、 平安の四季と恋の二本柱の一つを支える。

4. 神格化と物語化

業平は『伊勢物語』、 小町は『玉造小町壮衰書』 や謡曲を通じて、 歴史的人物から物語の主人公に変貌。 これは日本文化における歌人の神格化の始まり。 のちの西行、 芭蕉も同じ運命を辿る。

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